時代の最前線でヒットを続ける映画『ドラえもん』 現代に向き合い人間の普遍性を描く

時代の最前線でヒットを続ける映画『ドラえもん』 現代に向き合い人間の普遍性を描く

『ドラえもん のび太の月面探査記』が絶好調だ。公開から1ヶ月半が経過しているというのに、その勢いはおさまらないどころか、映画ドラえもんシリーズ史上最高とも言えるメガヒットを驀進中である(公開から6週連続1位、7週目の今週が2位)。通算第39作目。これだけ永きに渡って継続しているにもかかわらず、最前線の映画として、道を切り拓いているのはなぜか。



■伝統を大切にしながらも革新をおそれずダイブする



 それは、ドラえもんブランドに安住せず、現代に向き合い、果敢に攻める姿勢があるからではないか。伝統と革新。両極にあると思われがちなふたつのファクターは、実は共存しうる。たとえば、老舗和菓子屋などもそうだが、伝統に甘んじている店は時代に取り残されていき、アナクロな郷愁とともにしか、語られなくなっていく。



【写真】さりげなく指輪に「ドラえもん」 脚本を手がけた辻村深月氏インタビューカット



 つまり「いま」を生きることができない。伝統を大切にしながらも、革新をおそれずダイブする心意気こそが、歴史をネクストにつなげる。成功体験に追従するのではなく、真新しい地平に向かって伝統を解き放つこと。それは伝統を「信じる」ことに他ならない。そして、それこそが最新の伝統をかたちづくることになるのだ。『のび太の月面探査記』には、そうした不滅の勇気を感じる。



 まず、密度がハンパない。それはたとえば、京都料理の贅を凝らした究極のお弁当を思わせる。店でいただくコース料理ではなく、あえてフラットな箱のなかに、さまざまな奥行きのある料理を散りばめ、ひとつの「食宇宙」を提示する。カジュアルな装いと、食べやすさに留意したお弁当はしかし、食べ進めるほどに、その和食店の真髄を体感していくことになる。



■重要視されている「共有する」ということ



 今回の登場するひみつ道具は「異説クラブメンバーズバッジ」。ほとんどの人には信じられていないが、一部の人々には根強くそれが真実だと大切にされている「異説」が実現する世界を垣間見せてくれるバッジだ。



 単に夢を現実のものにするのではなく、異説を信じあう「メンバー」と一緒に体験することが重要で、これは見方を変えれば、ネットのその先にあるかもしれないメディアの可能性すら感じさせる。つまり「共有する」ということが重要視されているのだ。これは人間が希求する普遍が、最新の形式で顕在化しているということではないか。



 私たちは、血縁などをめぐる縦のつながりばかりでなく、横のつながりも求めている。それはなぜか。その答えのひとつが、ここにある。たとえば見知らぬ人々と、異説を媒介にして知り合い、思考を交わしあい、大切なものをともに育む。これは人間としてとても重要な感性だ。映画は、あえてこの命題をことさら意識させず、活劇に次ぐ活劇で、深層心理に刻みこんでいく。



■惜しみなく投入される『エヴァ』『ガンダム』などSF的ファクター



 月にはウサギがいる!そう信じるのび太の「異説」を、ドラえもんはこの道具で実現する。月にウサギ王国が生まれるのだ。すると、のび太の通う学校に謎めい転校生ルカがやってくる。彼は、月からやって来た少年だった。そうして、のび太たちは、ルカの窮地を救うため、月の世界で大冒険を繰り広げることになる。



 どこか『新世紀エヴァンゲリオン』の渚カヲルを思わせるルックスと存在感のルカ。月から地球に想いを馳せる彼の心境は旧『スター・ウォーズ』の主人公ルーク・スカイウォーカーに接近しており、空中戦などのアクション世界観もどこか『スター・ウォーズ』的だ。さらに言えば『機動戦士ガンダム』のシャアを想起させるキーパーソンが物語の脈を作り、ルカとのび太の友情劇は、大きな意味で『E.T.』を踏襲している。



 日本人にとっては「大文字」のSF的ファクターが惜しみなく投入されているが、これらが向かっているのは引用の織物ではなく、「異説」をめぐって結ばれる人々の物語を活性化するための薬味にすぎない。そのストーリーには、マイノリティや移民、テロリストや破壊といったきわめて現代的な主題も読みとれるような深みもある。



 だが、決して難解さに陥ることはない。あれよあれよというテンポですべてが進んでいくので、観客の年齢層によって、ごく自然に「何が残るか」は峻別されるであろう柔軟さがある。凝り固まってはおらず、可能性が開かれているのだ。



■みんな違って、みんないい。それが実践されている『ドラえもん』



 たとえば、子どもたちなら、そうしたテーマなど気にしないで、映画全体を大きくくるんでいる友情のファクターだけで満足感が得られる。すべてを理解する必要はない。そんな大らかさも、本作の大きな魅力であり、意義だ。



 個人的には、スネ夫の悔しさが全面に立ち現れていることに感動した。憎まれキャラのスネ夫だが、自分を救ってくれた相手を救い返すことができなかったとに「僕だって悔しいよ!」と、ジャイアンに訴えるシーンがある。



 このシリーズにはさまざまなレギュラーメンバーがいるが、それぞれの感情は、ひょっとしたら、一人の人格に備わっているものであり、感情それぞれがキャラクター化したものなのかもしれない。そんなふうにも感じる。のび太にはもちろん、ジャイアンにも、ドラえもんにも、弱点がある。しかし、逆境に瀕したとき、それぞれのやり方で奮起し、乗り越えていく。型どおりではない。個的な魂がある。みんな違って、みんないい。それが実践されている。



 スネ夫の悔しさを目の当たりにして、観る者は、己に隠されていた感情を発見するかもしれない。つまりスネ夫らしからぬ感情吐露が、私たちの心理の裏側に届く。それは、ひょっとしたら、月に行くよりも尊いことかもしれない。



『ドラえもん のび太の月面探査記』は、最新の濃密筆致によって、人間の普遍を浮き彫りにしている。私が観た日曜日の新宿の映画館では、途中素っ裸になるのび太に爆笑している子どもたちがたくさんいたが、その子たちは同時に食い入るように画面を見つめてもいた。その子たちのなかに、この映画が「残してくれるもの」は何だろう。その可能性は無尽蔵。そう思えるほどのエナジーが、ここにはある。

(文/相田冬二)
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