『NARUTO』岸本斉史、“完璧さ”への美学とジレンマ 新作SFに込める「リベンジ」

『NARUTO』岸本斉史、“完璧さ”への美学とジレンマ 新作SFに込める「リベンジ」

 世界中で大ヒットを記録した人気漫画『NARUTO -ナルト-』の作者・岸本斉史氏(44)。同作完結後、約4年半ぶりに『週刊少年ジャンプ』(集英社)で自身2度目の新連載『サムライ8(エイト) 八丸伝』を13日よりスタートさせる。原作を岸本氏、作画を『NARUTO』時代のアシスタント・大久保彰氏が担当し、SFをベースに侍の心を描いていくストーリーだ。15年間の連載を終え充電期間も経た今、「リベンジの想いがある」と新作へ意気込む。「完璧を目指すけど、完璧にならない」――理想の作品を究める上で、原作に専念することの意味など、岸本氏の創作哲学に迫った。



【写真】細かく描く…貴重な新連載『サムライ8 八丸伝』のネーム



■原作専念は“締切とこだわり”の葛藤 15年間の長期連載終え虚脱感も



――『NARUTO』完結後に「次回作はSF作品を描きたい」とおっしゃっていました。今作を描くに至った経緯は。



 元々、侍漫画を描きたい思いがずっとありました。集英社に最初に持ち込んだのは侍漫画なのですが企画が通らなくて、今回はリベンジの想いが込められています。当時の内容とはまったく違うのですが、侍とSFの世界観をあわせようと思ったのは、2つのジャンルが好きだからです。言葉ではなく行動で示す侍の姿に共感を覚えて、漫画として見て感じてもらいたい想いがある。“SF”と“侍”をわけて作品を描くことは、年齢的にもこの後何本も世に送り出せないので「それだったら、混ぜよう」と思ったわけです。



 15年描き続けた『NARUTO』が終わったときの心境は「やっと終わった、解放された、やりきった」というのがありました。けど、「やりきった」と思いつつも「完璧な作品ではない」というのが心の底にあったので、引っかかる部分があった。『NARUTO』を描き終える時期が近づいてきた時に、やっと「漫画の描き方がわかってきた」ところもあって、次回作は反省点を踏まえて作ることは考えていました。



 本格的な構想は『NARUTO』の連載が終わってから2年後くらい。すぐに着手できなかったのは、15年間連載してきて疲れてしまい、正直、考えることや漫画を描く気力がなかったから(笑)。それでも段々と「漫画をまた描きたいな」と思い始めてきましたね。子ども、家族との日常生活を楽しんだ充電期間を経て今作に挑みます。



――今作は原作に専念しています。絵を描きたい想いは薄れてきたのでしょうか。



 僕は絵を描くことが大好きで、漫画家になったのもそれが理由。その想いが強すぎて週刊連載だと僕のこだわり過ぎた絵では締切に間に合わない(笑)。『NARUTO』の時にそのような事例が出てしまい、僕が描いたら周りに迷惑をかけてしまう。週刊ペースではなく月刊ペースでの連載もありますが、それも難しいと考えていて、年4回くらいの季刊ペースでやっとだと思います。描く意欲がなくなったわけではありません。



 今回、作画をしてくれる大久保君は本当に絵がうまくてセンスがいい。『NARUTO』時代のアシスタントだったのですが、どんどん絵が上達していくのを見ていました。あるとき、大久保君の描く「優しさ」「あたたかみ」のある絵を見た時に、認めたくはないけど、正直、心の中で「負けた」と(笑)。彼の絵に嫉妬した部分はありつつも、「彼の絵(才能)をいつか世の中に見せたい」、「彼のためだったら原作者になってもいい」と思えたほどです。



 実は、『NARUTO』の連載当時から、「いつか一緒に組んでやろうよ」という話はしていました。彼はどんな絵を描いていても「あたたかみのある絵」になるので、今作の「侍」要素の部分での斬り合いのシーンであったり、SFのメカニックの要素でも殺伐としないんです。伝えたい世界観があるのでネームは僕が描いていますが、作品が一番輝くことを考えた時、自ら描くより大久保君の絵で読んでもらうのがベストだと思っています。



■愛情を描く想いは“本音と建前”の経験「大切なことは目に見えない」



――第1話のネームを拝見したところ、『NARUTO』と同様に“家族愛”が描かれていました。岸本先生が作品を描く上で重点を置いているテーマなのでしょうか。



 “愛情”を描きたいという想いより、今の僕はそこしか信じられるものがない。テーマ的に人が共感、信じてもらえるものは愛情しかないと最近思い始めています。第一話に「大切なものほど目に見えるところには見えない」というセリフがあるのですが、僕が色んな方と接してきた中で「本音と建前」を経験し「建前」が好きではない。「それってウソだよね?」と思ってしまう。しかし世の中は、気持ちが入っていないのにそれを「良し」としてしまう風潮があって、そこに違和感を覚えています。そういう方が多く居るので、「本音」で生きられる世界は難しいことですよね。 色んな作品にはさまざまなテーマがあり、読者に響くものと響かないものがある。ただ、根底に“愛情”があり、そこから派生しているテーマであれば人に伝わると思っています。「大切なことは目に見えない」というものを、第一話では父と子の愛情を通して伝えるようにしました。見せ方の形はどれでも良いのですが、作品は“愛情”があるかないかで印象が変わると思っています。



 僕は物語を作る際、AとBのストーリーにわけます。Aは作品の売りとなる面白い部分で忍者の場合は忍術とかアクション。Bは「忍者とは一体どのような存在なのか」などテーマ的な部分。基本的にB要素は読者の方は興味がないので、押し付けるとインチキ臭くなる。特に子どもは説教臭いのが大嫌いなので、少年誌では気をつけないといけない。作品の個性はAから生まれる物。例えば『アイアンマン』と『スパイダーマン』はBのテーマ的な部分は似ているのですが、スーツや能力が違うためAで差別化ができている。AとBのバランスは気をつけないといけないのです。



 今作のA部分は侍が“メタモルフォーゼ”といった変化する鎧(よろい)や武器。ですが、単純な「刀と鎧を装備した侍」は世の中に多くあるので、このままだとAが目立たないため読まれない。そこにSF要素を加えることによって、新鮮な作品として読まれるようにしました。



■『NARUTO』連載後の不安 “完璧”を求める美学と矛盾、伝えたいことの「ジレンマ」



――自身2度目の連載。SFを題材にして『NARUTO』と比べて苦悩した点は。



 『NARUTO』はありがたいことに世界的にヒットし、今作は連載2作目ということでプレッシャーはないと言ったらウソになりますが、あまり考えないようにしています。この歳になって苦しんで漫画を描きたくないので、やりたいことをやって楽しく描きたい。自身が苦しく描いていれば読者も苦しい、楽しければ読者も楽しい気持ちが伝わるはずなので。 『NARUTO』と比べて世界観への導入部分は本当に難しかったです。SF作品は専門用語が多くなるため、読者は「よくわからない」となりがちです。世界観の説明に数ページにわたって3~4つの専門用語を使ったら読者は離れてしまうものなので、SF物は出だしと作品の世界に入り込ませるのが本当に難しいんです。世界観がわかりにくいということは、読者に対して言いたいことが伝えられていないということです。作家は“創作すること=伝えること”と考えていますが“伝わらないこと”を描いているジレンマはあります。



 『週刊少年ジャンプ』では、人気が取れなかったら即打ち切りになってしまうため、僕が新人だったらSF作品は選んでいないですね。それでもSFというジャンルに挑戦したのは、おこがましいのですが「『NARUTO』作者の作品なら我慢して読んでくれるのではないか」という気持ちがあるからです。作家としてはやってはいけないことなのですが(笑)。今は作品が受け入れてもらえるか不安です。



 『NARUTO』が読者に受け入れられたのは、完璧な主人公じゃないところに共感してもらえたからだと思います。後半に進むと完璧になっていくのですが、生い立ちや環境が苦しいところから始まる。僕自身、恵まれた人より、色んなことが制限されている人に読んでほしい、「完璧じゃなくてもいい」という想いがあります。今作の侍に関連しますが、「わび・さび」「完成していない物が美しい」ということを描いていきたい。



 一人ですべて描いてきた『NARUTO』ですが、ネーム、下書き、打ち合わせ、構想…などなど漫画というのは昔から時間がなくて締切に追われて作られてきたもの。今回の僕のように原作と作画を分業して作られる漫画は増えてくると思います。良い作品にするために、絵に集中する人、ストーリーに集中する人とわけるのは悪くないと考えます。



 ただ、伝えたいことのズレは生じてきますよね。全部一人でやれば伝えたいものが描けるので完璧なものができる。それでも、共同作業により新しい発見もあるはずなので、プラスとマイナスの面を見極めていくのが大事だと思っています。



 「完璧なものは必ずしも良いとは限らない」という想いを描きたい自身が、今作で完璧を求めているので、矛盾があるのは確かです。ただ、『NARUTO』は完璧ではなかったため、次は反省点を踏まえて描く原動力になったので、そういう意味では「完璧を目指すけど、完璧にならない」持論がどこかにあります。



――“完璧”に対する美学を感じましたが、例をあげるとしたらどのようなことでしょうか。



 他の漫画家さんのラフ絵を見ると、清書したものより良いと感じる時があったりすることかな(笑)? 自身のことだと、『NARUTO』の連載中に子どもが生まれたこと、父親が亡くなったことで作品に影響がありました。ナルトの父・ミナトがナルトから再び離れる場面を描いている時に、自身の父親が亡くなって、その時のせりふは自身の父親に向けたものだったりします。連載をしていく中で初めのテーマはあるのですが、私生活の変化などで伝えたいことが変化していく。なので、「完璧でなくてもいい」「完璧とは?」という考えになりました。



 “愛情”でも「愛している」「好き」という表現だけでなく、「憎しみ」とともに両面を描くようにしていますね。愛する人が誰かに殺されたら当然、憎しみが湧いてくる。でも、知らない人が殺されても憎しみは湧きづらいですよね。なので、陰と陽をしっかりと伝えるようにし、トータルで見た“完璧”を目指しているのです。
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