45周年『アタック25』加藤明子アナに聞く「出題」への矜持 今に活きる児玉清さんの“教え”とは?

45周年『アタック25』加藤明子アナに聞く「出題」への矜持 今に活きる児玉清さんの“教え”とは?

 朝日放送テレビのクイズ番組『パネルクイズ アタック25』が1975年4月6日の放送開始から今年で45周年を迎え、「クイズ番組長寿記録」を更新し続けている。4人の解答者が25枚のパネルをオセロのように奪い合うフォーマットは変わらぬまま、司会者は故・児玉清さん、同局アナウンサー・浦川泰幸、そして就任6年目に突入した谷原章介と変遷。この3人を影で支えてきたのが、「出題」を担当する同局の加藤明子アナウンサーだ。解答者の“運命”を左右するため、言葉を噛んだり、言い間違いなどが許されないなか、加藤アナが9年間でつかんだ「出題」という仕事の矜持とは? 3人の名物司会者との思い出とともに話を聞いた。



【写真】初代司会者・故児玉清さんに笑顔で寄り添うスーツ姿の加藤アナ



■局アナの私がまさか…緊張で震えた初回、児玉さんの一言で平常心に



──加藤アナが『アタック25』に初登場したのは2009年4月5日放送回。番組に抜擢されたときの心境を教えていただけますか?



「アナウンサーになって10年目という節目の年でしたが、打診されたときはびっくりしました。私にとっては前任の沢木美佳子さんの印象が強く、局アナのポジションとは夢にも思っていなかったもので…。また1976年生まれの私にとって『アタック25』は、物心ついた頃から日曜の昼下がりにいつも見ていて、子どもの頃には「今日は赤の◯◯さんを応援しよう」などとマイルールを作りながら楽しんでいた番組でもあります。全国ネットということもあり、関東に暮らす両親もとても喜んでくれましたね」(加藤明子アナウンサー/以下同)



──最初の収録はいかがでしたか?



「ミスのないように出題せねば……という緊張感で問題用紙を持つ手が震えました。当時は児玉さんが休憩時間にお客さんやスタッフにアメを配ってくださっていたのですが、私にも1つ手渡してくださりながら「うん、自然でいいよ」とおっしゃってくださいました。おかげで平常心に戻って臨めたことを覚えています」



──36年間にわたって司会を務められた児玉清さんはどんな方でしたか?



「みなさんのご記憶の通りダンディで、あんなに背広の似合われる方も滅多にいないかもしれません。私の知っているお顔としては、非常に健啖家。フルコースの食事をした数時間後、〆にお蕎麦屋さんへ、なんてこともありました。昔は3本収録の日もありましたがまったく疲れ知らずで、お元気な児玉さんについていくのに必死でしたね」



──児玉さんからいただいた言葉で、今でも活きている教えはありますか?



「児玉さんには、ご趣味の本から話題のニュース、政治などなどいろいろなお話を聞かせていただきました。気軽な雑談もたくさんさせていただきましたが、ご一緒して間もない頃、当時独身だった私に「つかんだものを時に手放すことも大事なんだよ」とふいにおっしゃったことがあります。当時はぜんぜんピンとこなかったのですが、人一倍お元気でいらした児玉さんが病に伏され、あっという間に逝かれたときに「人生は有限なのだ」と気付かされました。その後、私も結婚して「『アタック25』の出題者は卒業かもしれないけれど、出産して子どもを育てるという夢を叶えたい」という思いを強くしました。その背中を押してくださったのが、児玉さんの言葉とお別れだったような気がしています」



■復帰初回で触れた優しさ「谷原さんとよりよい番組を作っていこう」



──児玉さんの後を継ぎ、4年にわたって司会を務めたのが朝日放送テレビの先輩でもある浦川泰幸アナウンサーでした。



「浦川アナは児玉さんの闘病中から『アタック25』を支えていただきました。大変な教養人で、収録前の読み合わせでは推敲された出題文に疑問を呈することも多々あり、チェッカーさん(問題に矛盾や誤りがないかチェックする人)からも多大な信頼を得ていましたね。大変な時期をつないでくれた、番組45年の歴史でもとても重要な存在だと思います」



──その間に加藤アナも2年間の育休に入られ、谷原章介さんの司会就任(2015年4月5日放送分)とともに復帰されます。



「私としては産休を機に番組で花束もいただいて…という状況で、卒業という気持ちもあったので、まさかお声がけいただけるとは思ってもみませんでした。ただ休暇中にいただいたお話だったため、復帰の大きなモチベーションになりましたね」



──谷原さんとの初収録はいかがでしたか?



「初収録の前日に顔合わせを兼ねたスタッフ食事会をさせていただいたのですが、実は私にとってその日は出産以来、初めての夜の外出にして外食でした。しかもあの谷原さんとお会いするということで、フワフワした気持ちだったのですが(笑)、イメージ通りとても紳士的な方で復帰への気負いがフッと溶けたのを覚えていますね。

 ところが当日、1本目の収録中に喉を潰してしまいまして、解答者のみなさんにはもちろんでしたが、谷原さんの記念すべき初収録の日に申し訳ないやら情けないやら……。そんなふうに落ち込んでいた私に、谷原さんが「大丈夫。育休明けすぐだもん、しょうがないよ」と声をかけてくださったんです。本当になんでもないことのように。考えてみれば谷原さんは子育ての大先輩で、育児中のお母さんの状態をよくご存じでいらっしゃる。その言葉にとても救われるとともに「谷原さんとよりよい番組を作っていこう」と気持ちが引き締まりましたね」



■プレッシャーは「ない」…想像力を大切に独りよがりにならない“読み”を



──3人の司会者の方々を陰で支え続けてきた加藤アナ。解答者の運命も左右する「出題」という責任の大きな仕事を担う中で「プレッシャー」は感じてらっしゃいますか?



「プレッシャーは特にありません。プロが推敲した問題の束を収録日の朝、手にすると背筋が伸びます。もちろん、収録前には皆さんに読み方をチェックしてもらいます。思い込みというのもありますからよく注意もされます。それも安心感と言いますか(笑)。この道何十年という大ベテランの方もいらっしゃるチェッカーさんには頭があがりません」



──「出題」において、普段どのような準備をして収録に臨まれていますか?



「体調管理の一言に尽きます。9年間のなかには、収録中に声を潰して後から声だけ録り直しをしたことも何度かあります。せっかく遠くからお越し頂いた解答者の皆さんに申し訳ないことをしてしまった……と苦い思いをしました。私は人一倍喉が弱いので、とにかく気を付けるしかない。毎晩喉に優しいといわれる『マヌカハニー』を舐め、『プロポリスキャンディー』は常に持ち歩いています」



──『アタック25』に9年間出演して気づいた、「出題」において一番大切なこととはどのようなことでしょうか? またそれは、ご自身のアナウンサー人生にどう活きていますか?



「出題の先に、お子さんやお年寄りの方がいることを想像し、独りよがりの“読み”にならないことでしょうか。近年の問題文は、答えを1つに絞るため、構成作家さんが頑張ってもどうしても長くなる傾向があります。問題の本質が伝わるように、丁寧に読むことを心がけています。その結果、日々のニュース読み、ナレーション、司会などすべての業務において『想像力』を大事にするようになりましたね」



──加藤アナは出題者としては10年目。過去最長の沢木美佳子さんの持つ10年という記録まであと1年ですが、そこは意識していますか?



「10年目と言われて、初めて『「そうなんだ」と気付きました(笑)。特に出産後は仕事と家庭をどううまく回すかに必死で、年月を意識することなくあっという間に過ぎてしまったというのが率直なところです。ひょっとしたらそろそろ次の方へバトンを渡す時期なのかもしれませんが、3月に100歳を迎えた遠く離れて住む祖母が楽しみにしてくれるうちは続けたいなと密かに思っています。また50代、60代になった谷原さんの「アタック25」での活躍も拝見してみたいですね。それまで私が出題者でいられるかどうかは別として、番組がこれからも末長く愛され続けるためにも、出題の声を通して『あぁ、今日も日曜か』と休日のゆっくりしたひと時を感じていただけるよう、丁寧な仕事をしていかねばと思っているところです」。



──最長寿クイズ番組にして、全国ネットでレギュラー放送されている希少な視聴者参加型クイズ番組『アタック25』。現場から見て、その魅力はどこにあると思いますか?



「手前味噌ですが、まずはクイズとしての精度が高いこと。そして解答数とパネル獲得数は決して相関せず、『アタックチャンス』で潮目が変わる、最後の一問で大逆転の可能性もあるなど、予想外の展開が多いことをこの9年間で実感しています。今年、小学1年生になった息子が何の先入観もなくオセロ感覚で『アタック25』を楽しみ始め、出題や答えについていろいろ質問してくるんですね。その様子を見ると、"昭和"が生み出したこの番組には普遍的な質の良さを感じます。テレビ離れとも言われる昨今ですが、ぜひ令和生まれの子どもたちにも家族と一緒に見てもらいたいと、祈りにも似た思いを抱いています」



文/児玉澄子
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