『学校へ行こう!』でブレイクした軟式globe・パークマンサー、今も畑で「そうだよアホだよ」歌うワケ

『学校へ行こう!』でブレイクした軟式globe・パークマンサー、今も畑で「そうだよアホだよ」歌うワケ

 かつて『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナーで、軟式globeとして「そうだよアホだよ♪」のネタで注目を浴びたパークマンサー。番組引退後は『TRICK』や『リッチマン、プアウーマン』などのドラマ出演も果たし、10年以上俳優として活動。しかし現在は地元で野菜づくりに励み、畑から「そうだよアホだよ」の歌を動画配信している。一時期は「パークマンサーという存在が大嫌いだった」というが、再びこのネタを始めた理由とは。



【動画】懐かしき「そうだよアホだよ♪」動画ほか、マークパンサーの娘や鈴木紗理奈とコラボも



■HIROからの一言がきっかけで開いたバラエティへの道「1回で終わろうと思っていた」



――『学校へ行こう!』出演前から芸能界にはご興味があったのでしょうか?



【パークマンサー】元々ダンサーとして活動していて、僕の師匠がEXILEのHIROさんの弟分だったんです。その流れで師匠たちが立ち上げた芸能事務所に入って、気づいたら周りに芸能人や売れている人たちがいる環境にいました。一度飲みの場で、僕の師匠のモノマネをで全力でやったら、HIROさんがゲラゲラ笑ってすんげえ面白いじゃんって。そこから面白いダンスをしたりして人を笑わせるのが自分の生きる道だって思って、バラエティのオーディションを受けてみるようになりました。



――『学校へ行こう!』のオーディションでの様子は覚えていますか?



【パークマンサー】師匠のダンススクールの生徒だった初代KOIKEとコンビでオーディションを受けて、そしたらちょうど男女2人を探してたっていう。その時はそういう強運が重なって、なんかもう全部がイケイケだったんです。1日でもうお前らでいこうってなって、こんなスピード感で何かが決まるんだって衝撃的でしたね。



――初めて『学校へ行こう!』に出演された時はどうでしたか?



【パークマンサー】スタジオでネタをやってみて、盛り上がらなかったら1回で終わろうって言われてたんですけど、まぁV6が椅子から飛び降りるくらいまでに笑ってくれて。番組に出た次の日は普通に街歩けなかったですね。電車でバイトに通ってたんですけど、約7分の間に中学生に気づかれて、満員電車の中で「あれ、絶対あれだよ。絶対パークだよ」って言われたりしていました。



――当時はどのように撮影に臨まれていたのでしょうか?



【パークマンサー】僕は前日にTBSに泊まって朝方5時くらいまで、あーでもないこーでもないって議論して、なんとなくネタ…あ!リリックが出来たら(笑)が出来たらカプセルホテルで覚えて翌日撮影っていう繰り返しでした。だいたい番組放送後すぐに次の撮影だったので「あ、こんなウケ方したんだ」って確認して、反省は次に活かすっていう感じでした。



■『そうだよアホだよ』ヒットの裏にあった葛藤「あとは落ちていくだけだと分かった」



――一気に知名度が上がって、どんな心境でしたか?



【パークマンサー】最初に出てから3ヵ月で限りなくMAXまで行った感覚がありました。僕らが出ると瞬間視聴率が5%動いた時もあったそうで、お茶の間のリアクションまで想像ついたりして。でも「5歳まで馬に育てられた 半分馬だよアホだよ♪」っていう、大爆笑が起きたネタが出てしまった後はそこからもう落ちるしかないって分かっちゃって。後半は正直変な激しい動きでごまかしている部分もあったし。もうそろそろ辞めたいなって思ってた時に、globeの小室さんとKEIKOさんがご結婚されて、結婚式に乱入するっていうひとつ大きなタイミングができたんです。その様子がクリスマス2時間スペシャル番組になって、それが「アホだな~♪」の最後でした。激動の半年でしたね。



――披露宴ではマークパンサーさんもいらっしゃいましたよね。



【パークマンサー】その時初めてお会いして、「カッコイイと思ってたんすよ。なんか一緒にカッコイイことやりたいっすね」って言っていただけて。数年前に再会して、フランスのお家にも遊びに行ったりイベントでも共演したりしました。そして、遂には今月マークさんの娘さんが『2.5代目KOIKE』に就任することになって、18年越しの約束を果たせたかなと思っています。



――『学校へ行こう!』引退後はどのような心境でしたか。



【パークマンサー】辞められたのは正直嬉しかったです。当時は、辞めても「元パークマンサー」を使えば何とかなると思ってたんですよね。芝居をしたとしても「あの役者パークマンサーだったんだ」ってなればスコーンと売れると思ってたんですけど、まぁ甘かった(笑)。そこからうだつの上がらない役者生活が十何年始まるわけです。



■「“パークマンサー”として扱われるのが何よりも嫌だった」番組引退後の苦節の11年間



――これまで『TRICK』『リッチマン、プアウーマン』『失恋ショコラティエ』など、俳優としても名作に出演されていますよね。



【パークマンサー】最初に出たのは『TRICK』なんですけど、パークマンサーの勢いのまんま出たやつですね。でも現場で死ぬほど緊張しちゃって、テイク36とかになっちゃって。それがトラウマで、2度とその現場に呼んでもらえることはなかったですね(笑)。



――お茶の間のリアクションまで見えたというパークマンサーとして絶好調の時と、役者としてなかなか売れない日々のギャップは感じていましたか?



【パークマンサー】その時はパークマンサーという存在が一番嫌いでしたね。自分と同じ人なのに、みんなパーク、パークって言うんですよね。どこに行ってもパークだけが求められて。そんな心境って俗に言う一発屋の人しか体験したことないんじゃないですかね。極力パークって言われるのが嫌だったし、スナックとかで「Love again」がかけられることも嫌で、なんかもう全てに対して腹立ってましたね。



――そして遂に東京を離れて、地元・富山へ。



【パークマンサー】2015年の『学校へ行こう!』のスペシャル番組で僕のVTRが流れたのがきっかけで営業が増えて、ちやほやされる生活が2年くらいあったんです。でもそんなことが続くわけでもなく、3年前くらいには月に1本しか仕事が無くなってしまって。6年間付き合って結婚を約束していた女の子にも逃げられて、家賃も払えなくなって東京離れなきゃいけない。その時たまたま、友達がおばあちゃんの畑付きの家を紹介してくれて、時間も持て余していたので野菜づくりを始めたんです。最初はグッダグダな家庭菜園って感じだったんですけど、今年から師匠となる農家さんを紹介してもらい、地元の富山で本格的に農業に力を入れています。育てる課程を全部見せることで野菜の価値も上がるんじゃないかって思いから3年前からYouTubeも始めました。



■鈴木紗理奈やTAKUYAとも共演 畑で奏でる「そうだよアホだよ」に込められた思い



――そして今再び、一時期封印していた「アホだな〜♪」のネタを畑から発信されていますよね。



【パークマンサー】それはコロナの影響が大きかったですね。外出自粛で不安を抱える人達や子どもたちに向けてガス抜きになるようなことをしたいなって思って。今、ぺこぱさんの全肯定ネタや人を傷つけない笑いが流行ってますけど、僕のネタも誰かを蔑むようなネタではないんですよ。自己完結というか。たまに他人に向かって「〇〇はアホだよ」と使う人がいるんですけど違う違う、自分がアホだよって言ってるだけで誰かをアホだよとは言ってないんだよって。あとは、誰かに文句を言われたとしても「それがどうしたアホだよ♪」で終わるんですよね。議論にならない。だから、このご時世にぴったりなネタかなと思って発信し始めました。



――15年以上の時を経て、反響はいかがでしたか。



【パークマンサー】1日で4万人くらいフォロワーがつきました。TikTokっていうツールがあったのも大きいなと思っていて、15秒でひとネタできる絶妙な尺なので。このツールであれば面白くないって言われても流れていくなって思ったんですよ。でも想像以上の反響で、みんなが楽しんでくれてるなっていうのを感じたので、元々交友のあった鈴木紗理奈さんや元ジュディマリのTAKUYAさんともコラボしたりしています。



――今後、どのような存在になっていきたいですか。



【パークマンサー】おもろいおっさんかな。やりたいことやってたら多分そうなっていくのかなとも思います。稼いだ時もありましたけど、僕はミニマムな生活でいいかなって。トップもどん底も分かっちゃったから、本当に暑さ寒ささえ凌げれば生きられるんですよ。野菜育てていたら食べるのにも困らないですし。そのバックボーン持ってる人って、やっぱり強いとコロナ禍で改めて感じて。今みんなどうやって生きていけばいい?みたいなことを不安に思ってる人もいると思います。農業はサスティナブルだとか難しい話にも行きがちですけど、ただただ何も考えず、人間の原点に立ち返って土を見て、野菜に触れてほしい。そういう思いもあって、動画の撮影は畑で行っています。そうやって、少しでも誰かの元気になれたらうれしいですし、いくつになっても「そうだよアホだよ♪」って笑っていたいですね。





(文=鈴木ゆかり)
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