プロ野球への道を断念し芸人に… ティモンディ高岸が“やればできる”を発信し続ける理由「夢は形変えて叶う」

プロ野球への道を断念し芸人に… ティモンディ高岸が“やればできる”を発信し続ける理由「夢は形変えて叶う」

 学生時代からプロ野球のスカウトを受けるも、大学3年時のけがが原因でその道を断念したティモンディ・高岸宏行。4年時に前田とお笑いコンビを結成し、現在では若手ながら数々のバラエティ番組やスポーツ番組に出演。昨年初めてNPB始球式に登場した際には、往年の思い溢れ、マウンドで涙を流した。先月の日ハム対ロッテ戦では、142キロのストレートを披露し、“芸能人歴代最速”を記録。幼少期から野球選手になることだけを考えて生きてきたという高岸。そんな彼が大きな挫折を乗り越え、「やればできる」を発信し続ける思いとは。



【画像】ティモンディ高岸、“芸能界最速”142キロを達成 高校時代の“因縁”日ハム西川と対戦



■サンドウィッチマンの復興支援を見て芸人に「1年間ずっとライブ最下位でも楽しかった」



――芸人を目指したきっかけを教えてください。



【高岸宏行】大学3年生の時に大きな怪我をしてしまった時に、自分は周りの応援があって野球が出来ていたんだということに気づいたんです。そこから今後の人生は応援する側に徹したいと思うようになりました。その後、東日本大震災の復興支援でサンドウィッチマンさんが応援したり勇気を与えたりしている姿を見て、自分もそんな存在になりたいと思い、高校の同級生だった前田を誘ってコンビを組みました。



――実際に芸人の世界に入ってみていかがでしたか。



【高岸宏行】初めは何にも分からない中で、ただ2人で好き勝手やってワイワイしてました。事務所のライブも1年間くらいずっと順位が最下位だったんですけど、なんか楽しかったですね(笑)。色々試行錯誤しながら、無理して格好つけてみたり自分に合ってないようなことをしていた時期もあったんですが、「高岸の根っこの部分を出した方が良いよ」っていう前田のアドバイスもあって、今のスタイルに行き着きました。今は自分の伝えたいことを発信できるのがすごくラクで楽しいですし、自分に合っていますね。



――ライブで最下位になってしまってもへこむことなく、楽しんでやれたのはなぜなのでしょうか。



【高岸宏行】それは挑戦する楽しさがあったからだと思います。成功しようが失敗しようが、毎回気づきや成長があったというっていうのが楽しくて、毎回2人でキャッキャ言ってました。「やればできる」という言葉にも、成功すればできるのではなく、挑戦することに価値があるっていう思いを込めています。



――大学時代にはプロ野球からスカウトを受けるも、故障でその道を断念されたとのことですが、当時はどのような心境でしたか。



【高岸宏行】小さい頃からプロになることだけ考えて頑張ってきたので、怪我した瞬間は「あぁ、もう野球が出来ないんだ」っていうのが真っ先に頭に浮かびました。ただ、落ちこむというよりは「怪我しちゃったな、じゃあ控えに回って周りをサポートをしよう」と切り替えることが出来ました。怪我をしてしまったことはしょうがないですし、野球部の中で怪我をした人がみんなのサポートに回るっていうのが自然なルールだったので、「じゃあ野球辞めよう」とはならなかったですし、そこは流れに身を任せたような形でしたね。



――なぜそこまで落ち込むことなく捉えることができたのでしょうか。



【高岸宏行】周りの同級生のピッチャー陣や友達、親戚がすごい励ましてくれたんです。その言葉や姿勢っていうのが本当に大きくて。じゃあ僕にできることはなんだろうって考えて、裏方に回ることが出来たし、裏方に回って、尚更応援のすごさや多くの人に支えられてプレーできていたことに気づかされました。



――大きな挫折を経験した高岸さんだからこそ、「やればできる」という言葉にパワーを感じる部分もあるかと思いますが、この言葉を発信するようになったきっかけは?



【高岸宏行】「やればできる」は出身の済美高校の校訓で、番組内で言った際に、スタッフさんが「良い言葉だね」って言ってくださったのがきっかけです。昔から僕自身を鼓舞してくれた大切な言葉だったので、良いことは広めたいという思いで、いろんな番組で伝えています。



■初の始球式で号泣した理由 コンビ結成時に交わした2人の約束「いつか始球式投げせてやるから」



――昨年初めてNPBの始球式で投球された際、マウンドでコンビの2人で涙されていた姿がとても印象的でしたが、どのような思いがあったのでしょうか。



【高岸宏行】前田とコンビを組んだ際に、「いつかプロ野球選手とは違う道でも、プロの選手とお客さんがいる前で始球式という形で投げさせてやるからな」っていう約束をしてくれたんです。それをずっと覚えていたので、マウンドに立った瞬間に、あの時言ってたことが本当に現実として起こっているんだって感動して、思わず涙が出てしまいました。あと、マウンドに向かう時に前田が言葉をかけてくれて。何て言われたかは2人の内緒ですけど(笑)、それでグッときちゃったんです。前田との付き合いは長いですが、彼が泣くことはあまりないのでびっくりしました。



――お2人の絆を感じたシーンでした。前田さんと喧嘩することはあるんですか?



【高岸宏行】ないですね。前田の言うことは僕は納得できるので。話し合いはありますけど、お互い攻撃的にはならない。基本的に前田がいつもリードしてくれて、僕が分からなかったら聞くって言う感じです。仕事でもこういう言葉の方が伝わったかなっていう感じで。僕は勉強も出来ないですし、言葉を使うのが下手くそなので、誤解を招きそうなことは前田が訂正してくれたり、アシストをしてくれるんですよね。MCさんから言葉振られた時に僕が伝えやすいように噛み砕いて振ってくれたりするので。



――まさに“コンビネーション”ですね。



【高岸宏行】最初はサンドさんに憧れて芸人目指したので、芸人はコンビじゃないといけないと思い込んでいたんです(笑)。僕1人だったら本当にすぐ辞めてたかもしれないですね。当初、前田が富澤さんに「前田が頑張ればティモンディっていうコンビはなんとかなるから、前田が頑張って人に出せるもの、形にしなさい」と言われて、そこでスイッチが入ったっていう話を聞きました。その中でどうしたら僕の気持ちやキャラクターが伝わるのか、どういう言動があれば相手に伝わるのかっていうのをコーチングしてくれたっていう感じですかね。



――野球名門校にいた際も、芸人になられてからも大変なことはたくさんあったかと思いますが、高岸さんの人生で大きな苦悩や壁はどこだったと思われますか。



【高岸宏行】今まで僕自身が乗り越えてきたっていうことが一つもなくて、常にみんなに助けてもらってきたっていう感覚があります。反省することはもちろんありますが、壁が出てきたって思ったこともないですし、悩みを持つこともほぼないかもしれないです。昔から遅刻や忘れ物した時や、野球でエラーした時も、僕が向いてないことはいつも誰かが支えてきてくれた人生だったので、その分みんなに恩返ししたいっていう思いが今の原動力になっています。



■今でも野球は“夢そのもの” 「夢が終わっても人生が終わってしまうわけじゃないと伝えたい」



――コロナ禍を経て、夢や目標を断念せざるを得なかった人はたくさんいたかと思います。高岸さんのように、いつも明るく前向きでいられる方法やアドバイスを教えてください。



【高岸宏行】夢に向かって努力してきた過程が何よりも大事だと思っています。そのプロセスがあれば、たとえその夢が途絶えたとしても、その経験が将来自分を助けてくれると思うんです。なので、その夢が終わったからと言ってあなたが終わってしまうわけじゃないよって伝えたいです。僕自身もプロ野球選手っていう夢が途絶えた経験がありますが、応援に回ってみんなが前向きになる姿が見たいっていう夢が叶う瞬間がいっぱいあります。どんなときも前向きでいることさえ出来れば、違う形でも夢が叶うと思っています。



――現在もYouTubeやスポーツ番組等で野球経験を活かされていますが、ご自身にとって野球とはどのようなものですか。



【高岸宏行】今も子どもの頃から変わらず、夢そのものですね。野球を通じて、いろんな方に出会えたり、お仕事をいただくことができたので。どんな仕事でもベストを尽くそうっていう姿勢が持てるのは野球部時代に培われたものですし、その結果として始球式という一つの夢も叶えることが出来ましたしね。



――今後、やりたいことや目標があれば教えてください。



【高岸宏行】「やればできる」っていう僕の言葉を聞いて、嫌いな食べ物を食べられるようになったとか、不登校だった子どもが行くようになったとか、手術を受ける勇気が出たとかたくさんのお手紙をいただくんです。それで僕自身間違えていないんだなっていうのを皆さんのおかげで再確認出来ましたし、更に多くの人に伝えていきたいなって思っています。たとえそばにいれなくて会ったことがないとしても、僕はいま画面を見ているあなたを応援しているし、1人じゃないよって伝えたいんです。芸人という職業を通して、みんなに勇気を与えたり、鼓舞することが僕の夢なので、これからも誰かを少しでも前向きにできるような人間になりたいなと思います。





(取材・文=鈴木ゆかり)
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