「もう日本に帰りたい…(涙)」バンコク日本人学校で起きた”弁当事件” 13年間作り続けた母を「すごいと思いました」

「もう日本に帰りたい…(涙)」バンコク日本人学校で起きた”弁当事件” 13年間作り続けた母を「すごいと思いました」

 「お弁当の蓋が空いていて、アリが大量発生」「お弁当箱を持ち帰らず放置して異臭騒ぎ」「凍ったままのピザが入れられている」…そんなひと癖ある”お弁当エピソード”を投稿している、むらいひとみさん(@i_miss_bkk_thai)は幼少期から高校入学までをタイ・バンコクで過ごした。むらいさんが通っていたバンコク日本人学校は、給食ではなくお弁当で、むらいさんの母は13年間お弁当を作り続けた。タイならでは(!?)のお弁当エピソードを聞いた。



【漫画】お弁当の蓋が空いていたからか…虫の大量発生に異臭騒ぎ、鉛筆2本を箸として使う強者も



■弁当箱に”冷凍たこやき”のみ敷き詰められ…クセが強い母のお弁当



 様々なバックボーンを持つ子どもたちが通っていた日本人学校では、昼休みになると「誰かソーセージいる人?」と、おかずのトレードが始まる。「飽きたから、弁当ごと交換しよう」という子や、箸を入れ忘れていて鉛筆2本で恥ずかしそうに食べている子、腐らないよう配慮したのか冷凍ピザを「シャーベットピザだぜ!」と言いながら食べていた子もいたという。



ーー昼食がお弁当だったのはどのような理由からだったのでしょうか?



「給食センターというシステムがなかったからだと思います。私がいた当時は90年代で、タイはまだまだ発展途上国でした。学校の周りは一面広がる多くの木と平野だけだったので。ヘビもたまに出ていましたよ(笑)」



ーーむらいさんには兄と姉がいて、お母さまは子どもたちの弁当を13年間作り続けていました。むらいさんが覚えている、お母さまのお弁当エピソードで一番印象深いものをお聞かせください。



「実は漫画には載せていないのですが、私が小学校3年生の時、兄が中学1年生で、クラスでいじめにあっていて。その年のお弁当が印象的です。ご飯とおかず1個とか、冷凍のタコ焼きだけを敷き詰めたお弁当とか(笑)。きっと母は毎日悩んでいて、お弁当作りも集中できていなかったのだと思います」



ーー漫画にされている同級生とのやりとりを見ていると、多様な考え方で個性豊かな子が揃っていると感じます。むらいさんが学校生活を送るなかで、新しい発見として覚えていることをお聞かせください。



「タイ人のお母さんや、お父さんがいる子のお弁当を見ていると、お弁当作りはとにかく堂々と楽をする人が多かったような気がします。屋台で買ってきたおかずをそのままお弁当に入れる。それだけでいいんだ!って思いました。



 そのタイ料理を今度はクラスの友達とトレードするんです(笑)。ある男の子はトレードしまくっていたので、どのお母さんのお弁当が美味しいのか、美味しくないのかが分かっていました(笑)」



■90年代のタイでの生活「人との違いを自然に受け入れる性格になりました」



ーーむらいさんのお母さまは、タイ人の保護者向けにクラスのお便りをタイ語に翻訳する手伝いもされていたとか。日本の文化との違いで大変な経験をされた部分も大きかったと思いますが、子どもながらにすごいと感心したり、パワフルさを感じたエピソードをお聞かせください。



「母は貧乏で育ったので、いくらタイの物価が安かろうがタイ人にも負けずに値切っていたことです。あとはタイに来てすぐにタイ語の勉強を始め、2年でタイ語の試験『ポーホック(外国人のためのタイ語の試験)』に一発合格したことが

すごいと思いました。熱が出ても勉強していました」



ーーご家族でタイに行った経験は、その後のむらいさんの人生や生き方において、どんな意味を持つものになりましたか?



「人と違ったことが当たり前で、それを自然に受け入れる性格になりました。

タイのいいところも悪いところも、日本のいいところも悪いところも上手に使い分けて生きています。



 あとはネットもテレビもない不便な生活かと思いきや、その分家族で過ごす時間が多かったです。父はよく『することないなー。ほな相撲しよか!』とよく子ども相手にお相撲をしてくれました。楽しかったです」



ーータイについてご自身の漫画で触れる機会が今後もあるかと思いますが、漫画を通してどのようなことを伝えていきたいですか?



「タイの生活と日本の文化がいっぱい詰まった日本人学校の生活の両方を描いていますが、読んでくれる人それぞれが自由に感じ取ってくれたらいいなと思います。

タイ人の方でも90年代が好きな人が多いらしく、今後は漫画を通じてタイ人にも昔のタイを伝えていきたいと思っております」
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