松山ケンイチ&ムロツヨシ、それぞれの“家族観” 「今の自分を支えてくれている」

松山ケンイチ&ムロツヨシ、それぞれの“家族観” 「今の自分を支えてくれている」

 2012年に放送された大河ドラマ『平清盛』で共演している松山ケンイチとムロツヨシ。10年の時を経て映画『川っぺりムコリッタ』で隣人役として再共演を果たした。『かもめ食堂』などの荻上直子監督が書き下ろした長編小説を自ら監督した本作。人との関わり合いや家族への思いが描かれている作品は松山やムロにどんな思いを想起させたのだろうか――。



【動画】松山ケンイチ&ムロツヨシ、それぞれの“家族観”を語る



■現場ではそれぞれの距離感を大切に「いままでのムロさんはいらない」



――台本を読まれて松山さん演じる山田たけし、ムロさん演じる島田幸三にはどんな印象を持ちましたか?



松山ケンイチ(以下、松山):山田は、自分の存在価値を感じていない人間なのかなと思ったんです。感情を出してくれればわかりやすいのですが、表に出さないから難しかったですね。演技では、自分が学んできたこと、見てきたことでしか表現できないと思っているので、最初はどうしたらいいのだろうとかなり悩みました。島田が山田に「畑仕事を手伝え」と言ってくれたように、僕も家族や友達とは違う隣近所のコミュニティのなかでなにを感じるのか、日常の中から探ろうという意識を持ちました。



ムロツヨシ(以下、ムロ):僕も悩みましたね。島田という人間は人が好きなのか、または人が怖いのかなど、彼のバックボーンは実は台本にはあまり描かれていなくて。その意味で、いつも以上に役柄に余白を残して現場に入ろうという思いがありました。



――現場で役同士の距離感などを話し合ったのでしょうか?



松山:それぞれのシーンで、ムロさんだけではなく、荻上監督やスタッフさんとも打ち合わせをするのですが、やっぱり共有し合うのって難しいんですよね。この作品に限ったことではないのですが、基本的に自分が演じる人間の問題は、自分で抱えていかなければならない。だから僕ら自体も撮影現場では、入り込んではいけない距離を保っていました。本当はムロさんのこと大好きだし、ムロさんの話をいっぱい聞きたかったんですけれどね。



ムロ:それぞれに抱えているものがある。そこをおろそかにすると物語のなかで生きることができなくなるので、シーンごとにみんなで話し合うようなことはありませんでしたね。僕は撮影に参加して2日目ぐらいに、荻上監督から「これまでのムロさんはいらない」と言われたんです。サービス精神や共演者・スタッフへの気遣い、現場の雰囲気を盛り上げるようなムロツヨシはいらないので、とにかく役に向き合ってほしいと。僕も無理なサービス精神でやっていたわけではないので、そう伝えましたが、そうやって言ってくださる方は初めてだったので、もしかしたら新しい発見があるかもしれないと思って臨みました。なので、“荻上監督前のムロ”“荻上監督後のムロ”は別物かもしれません。



■大河ドラマ「平清盛」以来10年ぶりの共演



――お2人は2012年の大河ドラマ『平清盛』で共演されていますね。



ムロ:わたしは途中から出てくる(松山演じる)清盛の年の離れた弟役でしたね。設定では一番年下なんですけれど、お兄さんに森田剛くんがいたり、殿が松ケンだったり、年齢設定おかしかったですね(笑)。しかも髭もじゃもじゃで「何者なんだ!」ってみんなにいじられていました (笑)。



――本作で共演はどんなことをお2人にもたらしましたか?



ムロ:とにかく今回も共演できてうれしかったです。荻上監督の世界で松山ケンイチという人間と向き合うことの贅沢さはもちろん、充実感でいっぱいでした。大河で時間を共にしてから10年、がんばってきた自分に「この作品に思い切り向き合って楽しみなさい」と言ってあげました (笑)。



松山:先ほども言いましたが、ムロさんに聞きたいことや話したいこといっぱいあったんです。でもそれぞれが役に向き合っている時間があって。ロケ地である富山の撮影場所の力もあって、体も脳みそも作品の世界に入れたのは大きかったですね。誰も携帯をいじっていなかった。空き時間とか携帯って普通に見ちゃうじゃないですか。そうするとその場の空気って共有できないんですよね。言葉を交わさなくても川の音を聞いていたりするだけで、幸せな気持ちになれる貴重な現場でした。



■コロナ禍によって、ひとりで食事をする寂しさを実感(ムロ)



――山田は島田から畑仕事を手伝ってくれと頼まれます。松山さんも農業をされていますよね。



松山:そうですね。ひとりで畑をいじったり、妻やお世話になっている農家さんと一緒にやったりもしますが、意外とそういうときって話をしないんです。でもなにかを共有している感覚がある。それがおもしろいんですよね。多分、島田と山田も、あの場でしか共有できないものが間違いなくあったんだと思うんです。友達でもない、家族でもない人たちが土をいじることでつながりを感じる。そこで小さな幸せに気づくきっかけになるというのが、深いですよね。



――島田が作った野菜を2人で食べたり、山田が塩辛でご飯を食べたり……食卓のシーンも“小さな幸せ”が伝わってきます。



ムロ:塩辛とご飯は本当においしかった。あと誰かと一緒にご飯を食べるという意味が、3年前と今ではコロナ禍によって大きく違ってきているじゃないですか。そこも荻上監督が描きたいことだと思ったんです。



松山:山田はお金がなくてなにも買えなくて、もうダメだなと思ったとき、島田がキュウリとトマトを持ってきてくれるんです。本当にに腹ペコのときってどんな味がするんだろうって知りたかったので、僕も同じぐらいの期間、ご飯を抜いて試したんです。そうしたら、味はキュウリやトマトなんですが、身体への吸収のされ方が違う感じがするんです。そういった幸せを感じることができた作品でした。



――普段の生活のなかで、食へのこだわりはありますか?



松山:僕はひとりで食事をすることと、家族で食事をすることは、まったく意味が違うと思っています。家族で食べるときは、自分にとって幸せの時間なのですが、ひとりだと生きるために食べるみたいな感覚になっちゃうんですよね。そもそもひとりだとお腹が空いているときにしか食べないので。



ムロ:僕はお昼ごはんを食べながら、今日の夜は何食べようかなと考えると幸福な気持ちになります(笑)。自分が選んだこのお仕事でご飯を食べられるようになったのが37歳のときなんですけど、それからはさらに重要さは増している気がします。特にこの2~3年は、ひとりでご飯を食べる機会が増えたので、家族の存在が羨ましいと思ったり、自分も家族を作るべきなのかなと考えることもありました。



――寂しい気持ちが芽生えたりしたんですか?



ムロ:そうですね。自分で料理すると、いつも同じ味になってしまうんですよね。だからといってデリバリーを頼むと、食べ終わったあとにお弁当の容器を捨てるときに寂しくなったり。オンライン飲み会とかもやったこともあるのですが、パソコンを閉じたあとやっぱり寂しいんですよね(笑)。



■いまの自分を支えてくれているのは間違いなく家族(松山)



――人との触れ合いや家族の大切さも作品のテーマだと思いますが、家族の価値観は年齢を重ねるうちに変化していますか?



松山:僕はひとりでいられなかったから、結婚して家族を作ったんだと思うんです。家族に支えられていることは間違いないですし、今こうしていられるのも家族のおかげです。自分ひとりでいるとどうしても仕事のことを考えて、穴に落ちて変な方向に行ってしまう。そのバランスを整えてくれているのも、間違いなく家族だなと思っています。その気持ちは以前から変わっていないのですが、子どもはまだ僕の価値観のなかで存在しているので、早く自立させてあげたいなと思います。



ムロ:間違いなく家族への価値観は変わってきていると思います。僕はひとり暮らしですが、妹が介護福祉の仕事をしているんです。その妹が担当していた身内のいない方が、施設に来なくなって、部屋のなかで、おひとりで亡くなっていたそうなんです。確認作業が終わったあとの妹から、「ツヨシくんのことを思い出しました。大丈夫ですか? たまには連絡ください」と連絡があったんです。20代は煩わしいと思っていたこういう連絡も、今はうれしいなと思うようになってきました。



――最後に作品を通じてどんなことが伝わったらと思いますか?



松山:家族以外のコミュニティの話ですが、登場人物が誰もお金のやり取りをしていないんです。お墓が売れたからすき焼きを食べよう…みたいな話はありましたが、物々交換などお互いに足りないところを補っている関係性なんですよね。お金じゃない労働力の交換には憧れを抱きました、自分もそうなりたいなと思いました。この映画が、自分にしかできないことって何だろうと思うきっかけになってもらえれば。



ムロ:この映画は観る人によって気になるところが違うと思う。決めつけることができない…そんなことを感じてもらえたらうれしいですね。



取材・文/磯部正和

写真/MitsuruYamazaki

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