新しい環境を経験し続けることが成長に、森山直太朗デビュー20年も「もっと剥き出しの感情を出さないと」

新しい環境を経験し続けることが成長に、森山直太朗デビュー20年も「もっと剥き出しの感情を出さないと」

 メジャーデビューから20年の節目となる今年、20thアニバーサリーツアー『素晴らしい世界』をはじめ、8月10には配信シングル「茜」をリリースするなど精力的な活動を行うシンガーソングライターの森山直太朗。数々の名曲を生み出し、確固たる実績を残してきているが、自身は「まだまだ。もっと剥き出しの感情を出さないと」とまったく満足していないという。どこまでも貪欲に、後悔しないように――森山の熱い思いに迫る。



【写真】森山直太朗「茜」主題歌の『家庭教師のトラコ』でバーテンダーに扮する橋本愛



■経験を重ね、見えてくる表現との向き合い方「負い目のほうが強かった」



 2002年にメジャーデビューを果たしてから20年というアニバーサリーイヤーとなった今年。森山自身は20年という月日について「多くの人がそうだと思うのですが、やっぱり“いま”しかないので、積み重ねてきた20年という年月に対して、あまり重みや深みは感じていないんです」と率直な胸の内を明かす。



 さらに森山は「本当に一瞬で経ってしまった感覚」というと「若干負い目のほうが強いかな」とこぼす。“負い目”という言葉について「20年という時間が経っているのに、後悔だらけだし、『まだまだこんなに表現が下手くそなんだ』と納得できないことが多いんです。曲を作り表現することに対して、もっと剥き出しになっていかなければいけない」と自身を戒めると「どこか経験を重ねると、小手先とは言わないけれど、自分の理解できるというか、傷つかない範疇で表現をしてしまいがちなんですよね。もちろん一生懸命やっていたというのは大前提としてあるのですが、もっと内から滾るような思いを出さなきゃいけないと思っています」とストイックに未来を見つめる。



 そこには森山の“表現者”としての矜持が垣間見える。



 「やっぱり年齢を重ねれば重ねるほど、剥き出しの感情と向き合うのは難しくなっていきます。でも自分の確立したスタイルに執着して楽をしているような感覚で作品に取り組むと、それは全部自分に跳ね返ってくる。その苦しみを知っているので、自分に嘘はつきたくないんです。やっぱり夢中になって、好奇心を持ち続けて、一ミリでもいいから成長していきたいじゃないですか。なんの因果か表現をするという仕事に就き、その手段を与えてもらえたのだから、やっぱり実直でいたいんです」。



■「身を粉にして二人三脚でやってきた」盟友・御徒町凧との20年



 そんな20年の歩みのなか、森山の創作に切っても切り離せないのが、御徒町凧との関係性だ。森山は「彼とは高校時代からの友人なので、インディーズから合わせると30年ぐらいの付き合いですね」と語ると「僕と彼はまったく違う人間で、お互い自分にないものを相手が持っている。そこを補いながら進んできた関係性。詩人としての彼、実演家としての僕。身を粉にして二人三脚でやってきて合わせて一人前みたいな感覚でした」と振り返る。



 そんな2人だが森山は「いまようやく20年という時を経て、お互い岐路に立っているような気がしているんです」と変化を語る。続けて森山は「『人間の森』というライブツアーがありましたが、それが終わってから『お互い一度距離を置いて、それぞれモノ作りに向き合ってみよう』という話をしました」と回顧。「もちろんこれまで通り友人として関係性は続きますが、お互いが自分自身を貫いた先に、また二人で一緒に曲を作ったり、舞台をしたりすることもあるのかなと思っているんです」と互いのモノ作りを突き詰めたあとに訪れる変化にも期待を抱いているという。



■ツアー“一〇〇本”にこだわる意味、当たり前のようにこなしてきた先人たちの背中



 現在、森山がこだわり進めているのは「一〇〇本ツアー」と銘打った20thアニバーサリーツアー「素晴らしい世界」だ。北海道から沖縄の離島まで全国各地を周り、弾き語り、ブルーグラス、フルバンドと編成を変えながら一〇〇本のライブを行う。一〇〇本という本数について「72本ですとかいうよりも”一〇〇本”というほうがインパクトありますよね」と笑うと「あとはやっぱりこれまで母親(森山良子)や、さだまさしさんという先人たちを見ていると、彼らは弾き語りやバンドツアー、ディナーショーと形は違いますが、年間一〇〇本以上のライブを余裕で行っていました。特に母の背中。会場の舞台袖でその姿を見てきたのが大きいですね。僕ら若いものが30や40しかやらなかったら、へなちょこだと思われるじゃないですか」と理由を説明する。



 記念すべきツアーのスタートとなったのが、吉祥寺のライブハウス・曼荼羅だ。吉祥寺と言えば、森山が学生のころから弾き語りをしていた井の頭公園がある場所だ。「曼荼羅のライブMCのときにも話したのですが、僕はライブハウスというものに違和感があったんです。もともと井の頭公園でマイクもなくギター一本で弾き語りをしていた人間なので、どうもマイクがあって照明が当たったりする場所に違和感がありました。でも当時はそんな客観的な目線なんてないから、とにかく死に物狂いでやっていた。いまだからこそ、そんな思いだったんだなと客観視できた。そのことでなんか救われた気分になったんです」。



 デビュー前、マイクも照明もない路上での弾き語り。そこでも森山には強いこだわりがあった。それはオリジナル作品で勝負することだ。



 「弾き語りする人にもいろいろなタイプがいます。オリジナルだけで貫く人と、尾崎豊さんや長渕剛さんなどカバーをする人。一般的に有名な曲のカバーのほうが、人は止まってくれるじゃないですか。でも僕はオリジナルに対するこだわりがあって。当時路上ライブというのは、共有の場ではなく実験の場だと思っていたんです。どれだけ自分のなかでしたためたものを外の空気に触れさせるかが必要だと思っていたので」。



 そのためきつい対応もあったという。「当時井の頭公園で弾き語りをしていたら、ワンレンのお姉さんが僕の前に立って『尾崎やって』と言われたんです。僕は『すみません。できないんです』と断ったら、その女性が、広げていたギターケースにタバコの灰を落として『坊や、こういう場所で歌うならカバーの一つでもできなきゃダメだよ』と言われたんです。あれはほろ苦い経験でしたね(笑)」。



■良い曲は人と人との間をつなぐ。「涙そうそう」は音楽の理想的な形



 そんな経験があったなか、メジャーデビューを果たすことになった森山。当時はまず「知ってもらわなければいけない」とギター一本持って、CD販売店はもちろん、レコード会社の朝の会議に参加し顔を売ることに注力した。「媒体とかメディアよりも先に、レコード会社の人に知ってもらおうと、生の演奏をしに行ったことを覚えています」。



 そんななか2003年3月に発売したセカンドシングル「さくら(独唱)」では、桜前線と共に日本全国のAMラジオ、コミュニティFMなどに出向き、曲を歌わせてもらった。とにかく一人でも多くの人に曲を知ってもらおうと、泥臭くプロモーション活動を行った。そんな森山の努力が実を結び、じわじわと人気に火が付いた。まさに聴いた人が曲の良さを実感し、多くの人の心に届いた。



 森山にとって、こうした曲の広がりが「理想的だ」と確信したのが、森山良子とBEGINが手掛けた「涙そうそう」という曲だ。「あの曲は、母とBEGINさんがライブで意気投合し、BEGINの比嘉栄昇さんから、母に『涙そうそう』というタイトルとメロディがあるので、詩を書いてほしいという形でできたという経緯があったんです。それはレコード会社やタイアップマターではなく、アーティスト同士のつながりでできた曲。その後、夏川りみさんがカバーして、沖縄から、日本全国へ広がっていったんです。いろいろな一期一会が重なったことは大きいですが、「さくら」もしかり、作品の力で波紋のように多くの人の心に届いていったというのは、音楽の理想的な広がり方だと思います」。



 今回のツアーでは、その“つながり”を大切にしているという森山。前篇となる弾き語りでは普段のツアーでは周れなかった離島にも赴き、7月30日に無事に終了した。森山は「一つ一つがかけがえのない時間でした」と振り返ると「僕らは舞台を作ってお客さんを招いて『ようこそコンサートにいらしてくださいました』という姿勢だと思うんです。そのことはいまも変わらないのですが、今回のツアーは、僕らと同じぐらい見に来てくださるお客さんの強度も感じています。特に離島の方々は『本当によく来たね』と声をかけてくださる。この言葉にはとても救われました。いま手放しかけてしまっている人と人との間にある感覚みたいなものを気づかせてくれる。この気持ちを僕は忘れたくないし、これからもステージに向かっていきたい」と後半戦への意気込みを語る。



■ドラマの現場では新人、その環境を経験することが成長につながる



 アーティスト活動の一方で、連続テレビ小説『エール』に出演するなど、いろいろな方向にアンテナを向けている印象がある。こうした活動にも、前述したような「自身の成長」というテーマが大きく起因しているようだ。



 森山は「僕がちょうど『人間の森』というツアーを終えたあと、肉体的にも精神的にもかなりくたびれていて『この先歌っていけるのだろうか』と不安になっていました。そこで少し静養したいと思ってスケジュールを空けたんです」と事情を説明すると、その休息をとろうと思っていた時期にドラマのオファーをいくつかもらったという。



 基本的にリフレッシュすることが目的だった休暇だが、客観的に考えたとき「冒頭でお話しましたが、年々傷つかない範疇で冒険をしないことで、ハングリー精神がなくなっていくことに恐怖があったんです」と語ると「ドラマの世界では、僕は新人みたいなもので、そういう環境を経験することは自分にとって成長につながると感じました」と前向きに捉えた。



 実際に参加したドラマの現場は「音楽に似ている」という気づきがあった。「バンドってアンサンブルが大事なので、メンバーと共に響き合って作っていく感覚なのですが、ドラマの現場も、脚本というルールはありますが、対峙する相手とのセッションは大切ですし、僕のなかでは音楽をやっているような感覚になることが多かったです」とアーティストならではの感想を述べていた。



 今後も俳優業に限らず、縁があり森山の好奇心と合致する表現ならば「きっとなにか学びがあるはず」としっかり向き合っていきたいという森山。「いま、そのときにしかできないものを丁寧に表現していきたいです」と21年目以降も、さらに剥き出しに、正直に活動を続けることを誓っていた。



(取材・文:磯部正和)
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