ロシアン佐藤、フードファイター引退から1年 社長兼YouTuberとして見据える未来「“おいしいこと”をやる人を増やしたい」

ロシアン佐藤、フードファイター引退から1年 社長兼YouTuberとして見据える未来「“おいしいこと”をやる人を増やしたい」

 昨年7月、自身のSNSでフードファイター引退を宣言したロシアン佐藤。現在はIT企業で代表を務めるかたわら、大食いYouTuberとして活動している。ファンからの引退を惜しむ声に「一瞬、早まった?と思ったけど、今は後悔する暇もないほど充実している」と話す彼女。多くのファンに愛された彼女の“大食い”人生はどこから始まったのか。フードファイターがセカンドキャリアで成功する秘訣とは。引退から1年、ロシアン佐藤の軌跡と、この先に見据える“未来”について話を聞いた。



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■テレビ初出演に「ただでいっぱい食べられることが嬉しかった」



 デビューは、22歳。『元祖!大食い王決定戦~打倒ギャル曽根!爆食戦国絵巻~(女性限定新人戦)』(テレ東系特別番組)で準々決勝まで進み、結果は5位だった。



「大学の同級生から“佐藤さん本当に大食いやばいから絶対出た方がいい”って言われて。ちょうど夏休みで、来年から社会人だし、最後の思い出作りに出てみようという軽い気持ちで応募しました。テレビ初出演は緊張したんですけど、タダでいっぱい食べられるっていう(笑)、それが嬉しくて楽しかったのを覚えていますね」



 だが雪が降りしきる中で行われたロケ撮影は過酷の一言だった。



「蓮根のはさみ揚げだったんですが、塩と氷って固まるじゃないですか。味付けの塩でカッチコチになってお皿が机から取れないぐらいの寒い状況で、そこでずっとロシアン帽をかぶっていたんですね。そこで、司会者の中村有志さんに“ロシアン佐藤”と呼ばれて。そこから私はロシアン佐藤になりました(笑)」



 愛嬌のあるルックスと人柄はすぐに話題となり、またたく間に人気フードファイターのひとりとなった。その後は、IT企業でシステムエンジニアとして働きながら、フードファイターとして活動。2016年には『国別対抗! 大食い世界一決定戦』にて、日本チームのリーダーとしても出場した。



「私がリーダーだったんですけど、そもそも私以外の皆が大食い大会の優勝経験者。私は優勝したことないし、マックス鈴木さん、もえあずさん(もえのあずき)、菅原初代さんら当時最強の布陣の中に私。しかもリーダーというのが疑問で。でも今思えば、個性が強いメンバーをふんわりまとめ上げる役どころだったり、いろんな世代の皆さんとコニュニケーションが取れて、チームでこうしていこうと考えられるタイプが私だったのかな、と。大食いの能力が一番高くなくてもリーダーは出来る。それが今の企業の代表を勤めている自分と重なっているようにも思います」



■身長180cmの父をもしのぐ量を食べる小学生女子



 そんな彼女はいつから“大食い”だったのか。



「物心ついた時には“大食い”でしたね。給食も配膳された分だけでは足りないから、おかわりはクラスで一番に。余った牛乳やデザートのじゃんけんも絶対に参加(笑)。そういえば、朝ごはんでお味噌汁を三回おかわりして母に叱られこともありました。とにかくいつもお腹がすいていて。おやつ替わりに弟と勝手におにぎりや目玉焼きを作って食べたりもしていました」



 小学生にして、身長180cmの大柄な父親より食べることもあったと言う。地元のデカ盛りを出す店で、一人前2kg弱のどんぶりを食べ、父親はリタイア。彼女は自分の分を食べ終わった後、父親の食べ残しまでたいらげてしまったと言う。



 さらには実家が農家だったため、家にはエンドレスに食材があった。祖父と祖母から愛され、無限に食べ物を与えられる生活をし、小中学生の頃は、やや筋肉質なコロコロとした女の子だったと話す。



「ですが高校に入った時、思春期がやってきまして。大きい弁当を持っていったら、友達に驚かれ、そこで初めて、『女子ってこんな、げんこつぐらいの量のお弁当で足りるんだ』と衝撃を受けることになります。恥ずかしくて外ではあまり食べないようにし、スカートもウエストをわざと小さくして、食べたら苦しくなるよう細工をしてました(笑)」



 結果、帰宅すると爆発するように食べることになり、見かねた両親は心配して病院に。だが内臓はすべて正常だったと言う。人並みの食事で我慢したからか、成長期もあったのか、この頃から痩せ始め、今の体型になった。太らない理由としては、「実はよくわからないんです。スポーツジムで代謝量を図ってみても普通でしたし。ただ、私は食べる時にすごく汗をかくから、食べる時だけ代謝が上がるのかなとか、栄養の吸収率が人より低いのかな」と笑う。



 そんな彼女は、2016年からYouTube活動をスタート。2016年の世界大会でアメリカの大食い王・パトリックに破れた後、これまで勤めていたIT企業を退職し、“食のIT企業”エッジニア合同会社を設立。フードファイターを続けながらも、その企業の共同代表兼COOとなる。



■“仕事”として成り立たなかったフードファイターをYouTubeが収益化



「もともと大食い自体が仕事になるとは思ってなくて趣味で続けていたんですが、それと社会人で経験したものをミックスさせたらどうだろうかと考えました。30代前半だったし、失敗してもまだ潰しがきくとも考えた。起業のきっかけは、プレイヤーとして相手が喜ぶ”ものづくり”を続けたいと考えたからです。このまま社員でいると会社のレールに乗って課長さん、部長さんになる未来が見えました。そこで輝くよりもプレイヤーとして一生懸命、相手が喜ぶものを作る自分であり続けたいと。」



 会社員時代、クライアントの悩みを聞いてそれを形にし、課題解決していくのが好きだった。そこを掘り下げていき、YouTubeを通して、企業のファンを作るといった業務がまず1つ。また同じように“食”を配信しているインフルエンサー1600名のネットワークを構築し、企業とインフルエンサーをつなぐプラットフォームも開発。ほか、「食」以外に『KuZuKiRi360』というサービスでは、クライアントの商材をVR空間で疑似体験し、販売や集客につなげるシステムを構築した。“食”にまつわる多くのサービスを取り扱い、まさにフードファイターとエンジニア、両方のいいとこ取りをした企業を経営している。



 大食い選手の延長線上で仕事を作っており、これまでの彼女の人生経験が詰まった企業だ。



「そもそもフードファイターは、番組があったら呼ばれるだけなので、事務所に所属してタレントさんになるとか、そうでない限り“仕事”として成立するものではありませんでした。当時の選手も、ほとんどが会社員や自営業など本職がありましたね。その中でYouTubeの登場は大きかった。YouTubeチャンネルを運営していたら収益化できる。個性も出せるし、フードファイターのセカンドキャリアとしてYouTubeはかなりありがたいサービスです」



 フードファイター引退から1年。会社代表として奔走する日々の中、YouTubeで大食いコンテンツを提供している今、普段でもお昼3人前、夜4人前といった量を平らげる。「選手は引退しましたけど、やっぱり食べることが大好きなんです。“食”をテーマにした私の会社で楽しい、幸せと思える機会を作って、同じように楽しいこと、おいしいことをやりたい人が1人でも増えたら…」、そう彼女は未来を見つめる。そんな彼女が今後、どんな“おいしい”を我々に届けてくれるのか。彼女が出してくるサービスを待ちたい。



(取材・文/衣輪晋一)

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