レギュラー19本!売れっ子放送作家「サトミツ」の“達観した生き方”「小2で人生を諦める」
「サトミツ」こと佐藤満春(44)。レギュラー番組19本という超人気放送作家にして、トイレ・掃除の専門家、ラジオパーソナリティー、お笑い芸人……さまざまな顔を持ち合わせ、オードリーなど多くの人気芸人が信頼を寄せている。そんな佐藤が、このほど自身についてつづった書籍『スターにはなれませんでしたが』(KADOKAWA)を2月17日に刊行する。幅広く活躍している佐藤だが、同書の中で、佐藤は小学2年生から抱えている“悩み”として「毎日そんなに楽しくない」や「小2で人生を諦める」とつづっている。その真意に迫った。
【写真】『スターにはなれませんでしたが』を刊行する佐藤満春
■小学生ながらに抱えていたもどかしさ 楽しくなかった毎日を救った伊集院光
佐藤は、小1で少年サッカーに励むも、後から入ってきたチームメイトにレギュラーを奪われていき「人には向いていることと向いてないことがある」と悟った。「冷めているんでしょうね。でも、同じ練習をしているのに、うまくなる人とならない人がいるというのは納得がいかなかったんですよね」。学校が楽しくないと感じていたのも、この時期からだが、もどかしさを抱えていた。
「みんなは楽しそうにしているなと思っていました。子どもだから言語化できないし、みんなみたいにできないことが恥ずかしくもあったのですが。自分の気持ちをうまく言えないし、伝わらないのが嫌でしたね。伝わらないことの方が多いんだなと思ったのも、その時からです」
時を経て、自身の気持ちを言語化できた今、当時の“佐藤少年”にどんな言葉をかけたいかと向けると、それほど間をあけずに「そのままで大丈夫だよ」と返ってきた。「夢とか希望を語っている人たちも、もちろんすばらしいのですが、そのひとつの軸しかないわけではく『夢も希望もないです』って言う人がいたっていいんじゃないかなと思っていて。それが、この本の軸にもなっている気がします」。
きょう3日放送のニッポン放送『佐藤満春のあなたの話、聴かせてください』では、さまざまな趣味を持つリスナーが熱をもって、パーソナリティーの佐藤に話しかける様子が印象的だが、幼少期から“達観”していたからこそ、いろいろな人たちの思いを汲み取る力が養われてきたように思える。「カラーコーンが好きな人の話を聞いた時、ワクワクしました。時代的に、ようやく『多様な価値観を…』というような風が吹き始めていますが、カラーコーンが好きっていう人も、これまでなかなか生きるのが大変だったかもしれないなと。その子が、しゃべってくれて、電波で発信できるというのは、すごく大事なことですよね」。
毎日が「楽しくなかった」佐藤少年の生活を変えたのが、伊集院光のラジオだった。「神ですね。今でもそうですが、恐れ多いというか。本当に楽しいエンタメが伊集院さんのトークしかなかったので、そのためだけに生きていました」。今では、自身がパーソナリティーの側に回ったが、明確なリスナー像がある。「僕が通ってきたような感情を持っている人もいると思うので、僕のトークや選曲などで、当時の佐藤少年のような人が、もうちょっと生きるかって思ってくれるような番組をやりたいなと。僕はラジオで救われたので。伊集院さんにはなれないけど、ラジオの力ってすごいので、それでも何かできることがあるかなと思っています」。
■オードリー、相方との出会い 朝4時起きで働き続ける
今回の書籍の中で、オードリーが登場するページも多く、「はじめに」では、佐藤がここ数年で一番うれしかった言葉として、若林正恭からの「サトミツはそろそろ自分のこと認めてあげてもいいんじゃない?それくらいの結果出してると思うし」をつづっている。「2人との出会いは、僕にとっても大きな節目です。なので、今回の本も若林くんの話が多かったですね。どうしても関わる時間も多いですし。20年以上同じ関係性で、気兼ねなく話せる相手がひとりでもいるというのは大きいですよね。若林くんとの関係には、すごく助けられました」。
相方・岸学との関係も、もちろん佐藤にとって大きなものだ。「岸っていう男は、ものすごくピュアにお笑いをやっているんですよ。あんなにピュアにお笑いをやっている人はいないんじゃないかな。本当にその時に面白いとおもうことをやる、それでお客さんが笑う。そこに対して、ビジネスで考える脳がほぼゼロなんですよ。それってすごいことだなと。だ今って、お笑いとエモさっていうものが割と共存する時代じゃないですか。テレビとしては、そこに沿った演出を取り入れると思いますし、それは正しいことだと思うんですけど、超ピュアにお笑いをやろうと思ったら、岸のように、演出なしで面白いことをやりたいってなると思うんです。そういうことも時間をかけてわかってくることで、そういう分析ができたのはよかったですね」。
「1秒でもテレビに映るっていうのが至上命題みたいな雰囲気だった」時代に、佐藤は次のような理由から放送作家としても活動することを決める。「半日ロケして1秒映ることに時間を費やすのかと考えると、その1秒を誰かが見て『コイツを使おう!』って思わないじゃないですか。だから、効率でいっても絶対その時間で何かをなしたほうがいいと思ったんですよね」。佐藤の特性ともぴったり合い、今では超売れっ子の放送作家だ。
「平日は『スッキリ』があるので、朝4時起き、5時出発、6時着。『スッキリ』の放送が10時半くらいに終わって、曜日によって会議が入る日と、生放送などがある日があって…。ちなみに、きのうは『スッキリ』後に、ニッポン放送で『ナイツ ザ・ラジオショー』があって、その後に2本会議があって、2本目の会議は電車に乗りながら参加して、帰ってきてから3本目の会議があって、その後に宿題を終えて…みたいな感じです」
「今はとにかくいただいた仕事をありがとうございます!ってやる人です」という佐藤だが、断れない理由をこう明かす。「仕事をいただけるということは、認めてくれているっていうことじゃないですか。それくらいしか、自分を褒めるタイミングないですからね。どの仕事でも、自分の仕事を自分で評価してあげられるタイミングって、人からの依頼とかオファーだったりしますので」。
多忙な中でも「新しい山」も模索し続けている。「僕は町田がすごく好きで、ずっと住んでいるのですが、いかに町田から出ずに仕事をするかを考えています。なんで仕事をするのに都心じゃないといけないんだろうとずっと思っているので。週4は町田でもいいのではないかと考えています」。これからも、さまざまな分野で「暗躍」しそうだ。
【佐藤満春】
1978年、東京都町田市生まれ。2001年お笑いコンビ「どきどきキャンプ」を結成。芸人としての活動のほか、トイレや掃除に造詣が深くトイレ・掃除の専門家、ラジオ番組のパーソナリティー、放送作家としても幅広くノンジャンルで活躍。
【写真】『スターにはなれませんでしたが』を刊行する佐藤満春
■小学生ながらに抱えていたもどかしさ 楽しくなかった毎日を救った伊集院光
佐藤は、小1で少年サッカーに励むも、後から入ってきたチームメイトにレギュラーを奪われていき「人には向いていることと向いてないことがある」と悟った。「冷めているんでしょうね。でも、同じ練習をしているのに、うまくなる人とならない人がいるというのは納得がいかなかったんですよね」。学校が楽しくないと感じていたのも、この時期からだが、もどかしさを抱えていた。
「みんなは楽しそうにしているなと思っていました。子どもだから言語化できないし、みんなみたいにできないことが恥ずかしくもあったのですが。自分の気持ちをうまく言えないし、伝わらないのが嫌でしたね。伝わらないことの方が多いんだなと思ったのも、その時からです」
時を経て、自身の気持ちを言語化できた今、当時の“佐藤少年”にどんな言葉をかけたいかと向けると、それほど間をあけずに「そのままで大丈夫だよ」と返ってきた。「夢とか希望を語っている人たちも、もちろんすばらしいのですが、そのひとつの軸しかないわけではく『夢も希望もないです』って言う人がいたっていいんじゃないかなと思っていて。それが、この本の軸にもなっている気がします」。
きょう3日放送のニッポン放送『佐藤満春のあなたの話、聴かせてください』では、さまざまな趣味を持つリスナーが熱をもって、パーソナリティーの佐藤に話しかける様子が印象的だが、幼少期から“達観”していたからこそ、いろいろな人たちの思いを汲み取る力が養われてきたように思える。「カラーコーンが好きな人の話を聞いた時、ワクワクしました。時代的に、ようやく『多様な価値観を…』というような風が吹き始めていますが、カラーコーンが好きっていう人も、これまでなかなか生きるのが大変だったかもしれないなと。その子が、しゃべってくれて、電波で発信できるというのは、すごく大事なことですよね」。
毎日が「楽しくなかった」佐藤少年の生活を変えたのが、伊集院光のラジオだった。「神ですね。今でもそうですが、恐れ多いというか。本当に楽しいエンタメが伊集院さんのトークしかなかったので、そのためだけに生きていました」。今では、自身がパーソナリティーの側に回ったが、明確なリスナー像がある。「僕が通ってきたような感情を持っている人もいると思うので、僕のトークや選曲などで、当時の佐藤少年のような人が、もうちょっと生きるかって思ってくれるような番組をやりたいなと。僕はラジオで救われたので。伊集院さんにはなれないけど、ラジオの力ってすごいので、それでも何かできることがあるかなと思っています」。
■オードリー、相方との出会い 朝4時起きで働き続ける
今回の書籍の中で、オードリーが登場するページも多く、「はじめに」では、佐藤がここ数年で一番うれしかった言葉として、若林正恭からの「サトミツはそろそろ自分のこと認めてあげてもいいんじゃない?それくらいの結果出してると思うし」をつづっている。「2人との出会いは、僕にとっても大きな節目です。なので、今回の本も若林くんの話が多かったですね。どうしても関わる時間も多いですし。20年以上同じ関係性で、気兼ねなく話せる相手がひとりでもいるというのは大きいですよね。若林くんとの関係には、すごく助けられました」。
相方・岸学との関係も、もちろん佐藤にとって大きなものだ。「岸っていう男は、ものすごくピュアにお笑いをやっているんですよ。あんなにピュアにお笑いをやっている人はいないんじゃないかな。本当にその時に面白いとおもうことをやる、それでお客さんが笑う。そこに対して、ビジネスで考える脳がほぼゼロなんですよ。それってすごいことだなと。だ今って、お笑いとエモさっていうものが割と共存する時代じゃないですか。テレビとしては、そこに沿った演出を取り入れると思いますし、それは正しいことだと思うんですけど、超ピュアにお笑いをやろうと思ったら、岸のように、演出なしで面白いことをやりたいってなると思うんです。そういうことも時間をかけてわかってくることで、そういう分析ができたのはよかったですね」。
「1秒でもテレビに映るっていうのが至上命題みたいな雰囲気だった」時代に、佐藤は次のような理由から放送作家としても活動することを決める。「半日ロケして1秒映ることに時間を費やすのかと考えると、その1秒を誰かが見て『コイツを使おう!』って思わないじゃないですか。だから、効率でいっても絶対その時間で何かをなしたほうがいいと思ったんですよね」。佐藤の特性ともぴったり合い、今では超売れっ子の放送作家だ。
「平日は『スッキリ』があるので、朝4時起き、5時出発、6時着。『スッキリ』の放送が10時半くらいに終わって、曜日によって会議が入る日と、生放送などがある日があって…。ちなみに、きのうは『スッキリ』後に、ニッポン放送で『ナイツ ザ・ラジオショー』があって、その後に2本会議があって、2本目の会議は電車に乗りながら参加して、帰ってきてから3本目の会議があって、その後に宿題を終えて…みたいな感じです」
「今はとにかくいただいた仕事をありがとうございます!ってやる人です」という佐藤だが、断れない理由をこう明かす。「仕事をいただけるということは、認めてくれているっていうことじゃないですか。それくらいしか、自分を褒めるタイミングないですからね。どの仕事でも、自分の仕事を自分で評価してあげられるタイミングって、人からの依頼とかオファーだったりしますので」。
多忙な中でも「新しい山」も模索し続けている。「僕は町田がすごく好きで、ずっと住んでいるのですが、いかに町田から出ずに仕事をするかを考えています。なんで仕事をするのに都心じゃないといけないんだろうとずっと思っているので。週4は町田でもいいのではないかと考えています」。これからも、さまざまな分野で「暗躍」しそうだ。
【佐藤満春】
1978年、東京都町田市生まれ。2001年お笑いコンビ「どきどきキャンプ」を結成。芸人としての活動のほか、トイレや掃除に造詣が深くトイレ・掃除の専門家、ラジオ番組のパーソナリティー、放送作家としても幅広くノンジャンルで活躍。