終末のイゼッタ 第12話「 イゼッタ 」【感想レビュー】
前置きすることは、今はなにもありません。
■終末のイゼッタ 第12話「 イゼッタ 」
ゲルマニア上空で、ゾフィーと対峙するイゼッタ。さらにゲルマニア内部ではフィーネたちの潜入がバレてしまい、議事堂まで隠れながら決死の前進となってしまう。
イゼッタとゾフィーの戦闘は苛烈さを増しすものの、ゾフィーの力は強大で肝心のミサイルに近付くことができない。
そこでイゼッタはミサイルの発射と誘導を担うゾフィーを引き離せば少なくともエイルシュタットの滅亡は防げると考え、音速を超えて誘導する。
しかし、ミサイルの脅威を伝え、誘惑と脅迫を兼ねた会議はその本題へと入り始めていた。
未だ街中を走るフィーネを少しでも早く会議へ送り届けるため、ジークは一人、おとりとして兵の前に躍り出る。
■途中から辛くて辛くて声が出なかった……
ジークはあぁなると思ってた……!!思ってたけどもう、その直前のシーンが……!!
どれほど彼のことを悔いていたのかよく分かる描写でつらかったです。だって本当は、彼と似ても似つかぬ姿じゃないですか……!!眼鏡しか……!!
でも眼鏡というありふれたアイテム一つで錯覚してしまうほど、彼のことがずっと引っかかっていたのだと思うともう……。二度は彼のことを撃てなかったんだなと……。
さらに姫様もあの場で毅然と立っている姿がすでに辛かった。
施政者の代弁者として、アトランタの言い分はもっともでしょう。姫様の人柄やエイルシュタットという国の国民性を知っていてすらなお、魔女の力という「敵なし」の誘惑が強いこともわかります。
だからこそ歯に衣着せぬあの直接的な質問が、あの場で姫様の心に刺さっていたはずです。イゼッタは戦争が終わったとしても、魔女でいる限り命を狙われるかもしれない、世界はイゼッタの排斥を望んでいると。そして自分がそうさせてしまったと。
ですが彼女がなにをしようか分かっているからこそ、毅然と立つことができていたはずです。分かっていてなお前を見、声を震わせながらも言葉にできる姫様が辛かった。
またゾフィーとイゼッタも、ですね。イゼッタは友人としてだけでなく、施政者としての姫様をも見ていたからこそ割り切れている。ですがゾフィーは、施政者としての彼を深く知らず、そして一人の人間として愛されることに重きを置いていたんでしょう。
魔女狩りの盛んだった時代、魔女の力を借りて諸国の脅威を退けた国があったとしたら、確かに異端国家として国ごと焼かれる可能性が高いです。施政者なら数万の国民を火炙りにさせるわけにはいきません。
その葛藤と決断を、ゾフィーは「恋人としての裏切り」としか受け取れなかったのかもしれません。愛していたから守り、力を揮い、永遠の守護さえ申し出たのにあんまりだ、と。
人としてはむしろ、ゾフィーの反応こそが普通だと思います。けれどゾフィーは、「国民を愛する彼」という部分をあまりにも見ていなかったのかもしれません。
イゼッタは友人として出会い、命を助けられ、そして施政者として国民と国を愛している姫様をずっと見てきました。だからこそ笑って火炙りにもなれると言ったイゼッタの言葉が辛くて仕方ありませんでした。
泣かずにいられるかこんなの……!!
画像引用元:© 終末のイゼッタ製作委員会
■やっぱりBGMは大事だなと実感
今回で実感したのは、やはりこの作品に使用されているBGMの荘厳さがさらにドラマチックさを増しているなという部分。
個人的にコーラス入りのBGMが好きだからというのもありますが、今回それが遺憾なく発揮されていました。
そして以前 挿入歌としての主題歌 をというコラムを書きましたが、やはり今回もED、「 光りある場所へ 」を用いて演出されましたね!
でも今回は、「よっしゃ勝てる!!」ではなく、「あぁああああ……イゼッタ死んじゃう……!!」でしたが、物語の最大の盛り上がりシーンを彩る挿入歌としての役割を果たしてくれたと思います。
このBGM効果もあって、泣きました……めちゃくちゃ泣かされました……。
一応今回で最終回!次週はクリスマス特番ということで是非こちらも視聴したいと思いますが、この作品全体を見終わった総括コラムを先にリリースできればと思います!
よろしければそちらも読んでいただければ嬉しいです。
終末のイゼッタ 感想レビューのまとめ
(あにぶ編集部/井之上)
■終末のイゼッタ 第12話「 イゼッタ 」
ゲルマニア上空で、ゾフィーと対峙するイゼッタ。さらにゲルマニア内部ではフィーネたちの潜入がバレてしまい、議事堂まで隠れながら決死の前進となってしまう。
イゼッタとゾフィーの戦闘は苛烈さを増しすものの、ゾフィーの力は強大で肝心のミサイルに近付くことができない。
そこでイゼッタはミサイルの発射と誘導を担うゾフィーを引き離せば少なくともエイルシュタットの滅亡は防げると考え、音速を超えて誘導する。
しかし、ミサイルの脅威を伝え、誘惑と脅迫を兼ねた会議はその本題へと入り始めていた。
未だ街中を走るフィーネを少しでも早く会議へ送り届けるため、ジークは一人、おとりとして兵の前に躍り出る。
■途中から辛くて辛くて声が出なかった……
ジークはあぁなると思ってた……!!思ってたけどもう、その直前のシーンが……!!
どれほど彼のことを悔いていたのかよく分かる描写でつらかったです。だって本当は、彼と似ても似つかぬ姿じゃないですか……!!眼鏡しか……!!
でも眼鏡というありふれたアイテム一つで錯覚してしまうほど、彼のことがずっと引っかかっていたのだと思うともう……。二度は彼のことを撃てなかったんだなと……。
さらに姫様もあの場で毅然と立っている姿がすでに辛かった。
施政者の代弁者として、アトランタの言い分はもっともでしょう。姫様の人柄やエイルシュタットという国の国民性を知っていてすらなお、魔女の力という「敵なし」の誘惑が強いこともわかります。
だからこそ歯に衣着せぬあの直接的な質問が、あの場で姫様の心に刺さっていたはずです。イゼッタは戦争が終わったとしても、魔女でいる限り命を狙われるかもしれない、世界はイゼッタの排斥を望んでいると。そして自分がそうさせてしまったと。
ですが彼女がなにをしようか分かっているからこそ、毅然と立つことができていたはずです。分かっていてなお前を見、声を震わせながらも言葉にできる姫様が辛かった。
またゾフィーとイゼッタも、ですね。イゼッタは友人としてだけでなく、施政者としての姫様をも見ていたからこそ割り切れている。ですがゾフィーは、施政者としての彼を深く知らず、そして一人の人間として愛されることに重きを置いていたんでしょう。
魔女狩りの盛んだった時代、魔女の力を借りて諸国の脅威を退けた国があったとしたら、確かに異端国家として国ごと焼かれる可能性が高いです。施政者なら数万の国民を火炙りにさせるわけにはいきません。
その葛藤と決断を、ゾフィーは「恋人としての裏切り」としか受け取れなかったのかもしれません。愛していたから守り、力を揮い、永遠の守護さえ申し出たのにあんまりだ、と。
人としてはむしろ、ゾフィーの反応こそが普通だと思います。けれどゾフィーは、「国民を愛する彼」という部分をあまりにも見ていなかったのかもしれません。
イゼッタは友人として出会い、命を助けられ、そして施政者として国民と国を愛している姫様をずっと見てきました。だからこそ笑って火炙りにもなれると言ったイゼッタの言葉が辛くて仕方ありませんでした。
泣かずにいられるかこんなの……!!
画像引用元:© 終末のイゼッタ製作委員会
■やっぱりBGMは大事だなと実感
今回で実感したのは、やはりこの作品に使用されているBGMの荘厳さがさらにドラマチックさを増しているなという部分。
個人的にコーラス入りのBGMが好きだからというのもありますが、今回それが遺憾なく発揮されていました。
そして以前 挿入歌としての主題歌 をというコラムを書きましたが、やはり今回もED、「 光りある場所へ 」を用いて演出されましたね!
でも今回は、「よっしゃ勝てる!!」ではなく、「あぁああああ……イゼッタ死んじゃう……!!」でしたが、物語の最大の盛り上がりシーンを彩る挿入歌としての役割を果たしてくれたと思います。
このBGM効果もあって、泣きました……めちゃくちゃ泣かされました……。
一応今回で最終回!次週はクリスマス特番ということで是非こちらも視聴したいと思いますが、この作品全体を見終わった総括コラムを先にリリースできればと思います!
よろしければそちらも読んでいただければ嬉しいです。
終末のイゼッタ 感想レビューのまとめ
(あにぶ編集部/井之上)