
父の一周忌が転機に…“お騒がせタレント”と呼ばれた梅宮アンナ、批判への「責任の取り方」
この12月で、父・辰夫さんの一周忌を迎えた梅宮アンナ。昭和、平成と自身も“お騒がせタレント”と呼ばれてメディアを騒がせてきた彼女は、令和になって、新たな生き方を模索している。一時は「全員が倒れるのではないか」と思われた梅宮家の危機、その育て方について賛否の起こった愛娘との関係とは? コロナ禍の中で、あえて動き出した理由を明かす。【写真】「似てる?」アンナの娘・百々果も…梅宮家3世代が初共演■最愛の父を亡くして決意、『ちゃんと生きていかなきゃ』 日本が誇る名優・梅宮辰夫さんを父に持ち、自身もモデル、タレントとして活動する梅宮アンナ。長い芸能生活の中では、恋愛、結婚、子育てと、注目されるたびに報道が過熱し、お騒がせタレントと呼ばれることもあった。だが、当の本人はそんなイメージとは真逆で、物腰柔らかく、物事をまっすぐに見て受け止める人だ。自分の感覚に素直に従う性格ゆえ、誤解を生むこともあったのだろう。しかし、その生き方は正直で、すがすがしささえ感じさせる。そんな彼女がスタートさせたファッション・ブランド『anmo closet』も、梅宮アンナのライフスタイルを反映させたものとなった。ちょうど1年前、娘として最愛の父を見送り、今は母として最愛の娘を見守る彼女の、新たな一歩とは――。――お父様の梅宮辰夫さんが亡くなってから、この12月でちょうど1年が経ちます。そんな今、新ブランドを立ち上げようと思ったきっかけは? 「去年パパが亡くなり、『ちゃんと生きていかなきゃ』、『ママを支えなきゃ』と思って、必死になっていたんです。でも年が明けたら、今度はコロナで世の中が止まってしまった。何もかも停滞しているけれど、そんなときだからこそ、『じゃあ、私はここで動こう』と決意したんです」――もともと、動きたいという気持ちがあった? 「そうですね。5年くらい前から、『職業:タレント』と書くのはもう違うな、という意識がありました。小さいときから洋服が大好きで、自分の思ったものを着たいという気持ちが強くて。モデルをやりながら自分に合うものを学び、いつか自分のブランドを作りたいとは思っていました」――この状況下では準備も大変だったのでは? 「パパが亡くなった後の手続き、ママのケアと並行しながら、スタッフと毎日のようにリモートで打ち合わせや会議を重ねました。ネットショッピングの心臓部分ともいえるサイトをカッコ良くデザインしてくれる人を探したり、ひたすら材料と作り手を探したり。この現状で積極的に動けたことには、自分でも驚きました(笑)」――娘の百々果さんの後押しも大きかったそうですね。 「はい。10年くらい前から、私が洋服を作りたいと言ってたのを彼女は知っていたんですが、『ママはやりたいって言いながら、形にしてないじゃん。人のものを紹介してる場合じゃないよ』と言われてしまって (笑)。本当にそうだなと思って、一気に動き始めたんです」――鋭いところを突かれたんですね。 「娘とは何でも話し合えるし、センスはまったく違うけれど、一番身近にいる私のプロデューサーなんですよね。背中を押してもくれるけど、グサッとくる本当のことも言う。私のことを一番知っている娘がいたからこそ、やりたいことが実現できたんだと思い、私と娘の名前を足した『anmo』というブランド名にしたんです」――小さい頃から寝室を分けたり、海外留学に送り出したり、育児に関して放任主義というイメージも世の中にはありましたが、すごくいい関係が築けてますよね。子育てに関して心がけてきたことは? 「『育児放棄だ』という言われ方をしたこともありましたが、それに一番怒っていたのは百々果でした。親子の関係って、100組いたら100通りの形があると思うんです。私は百々果に、早くから自立心を養うことで、自分で選び、今やるべきことをやれる人になってほしかった。だから、転んでも手は差し伸べず、自分で這い上がる力を持たせるようにしてきたんです。それを見た人から色々言われたりもしましたが、そのたびに内心、『ちゃんとした大人にしてみせる!』と思っていました(笑)。いま、18歳になった百々果はアメリカの大学に受かって、その先の人生を自分で考えられています。まだ18歳だけど、私が18歳のころとは時代が違うので、百々果の選んだことにダメと言ったことはないですね」■よく人から騙された両親、一時はアンナ以外全員が入院した危機も――アンナさん自身、有名なご両親の娘として育てられてきた中で、何か思うことがあったのですか? 「パパもママもすごく大切に育ててくれて、私が困らないよう先に先にと用意してくれていました。でも、高校生のときに『それじゃダメなんだよ』と父に言いました。うちの両親は誰でも信じてしまって、よく騙されていたんです。だから、世の中には悪い人もいると教えてほしかったし、私自身が自立しようと思った。百々果にも、自分で稼いだお金をきちんと考えて使える人になってほしかったんですよね。おかげで百々果は梅宮家で一番堅実で冷静、計算ができる人になりました。私もママもパパも、『イエーイ!』みたいな後先を考えないタイプなので(笑)」――お父様が亡くなってからの1年間で、アンナさんの環境はかなり変わりましたね。 「1年後にこんな状況になっているとは、想像もしていなかったです。パパが透析を受けるようになってからは、家族全員がとにかく大変な日々を送っていましたから。母は精神的に弱ってしまい、百々果も病気にかかり、1週間くらいではありますが、私以外の全員が入院した時期もあって。私も精神的にギリギリ、倒れそうになりながら家族を支え、なんとか乗り越えました」――そんな大変な状況を耐えることができたのは? 「実は私、お坊さんのお話を聞くのが大好きで、中学生の頃からフラッとお寺に入って、説法を聞いたりしていたんです。『一日ひとつの徳を積む』という話を聞いて以来、それを意識してきました。父が亡くなった後、お坊さんからは『倒れなかったのは、すべてのことに感謝の気持ちを持って生きてきたからだ』と言われました。1年前はすごく大変だったけど、見えない力に支えられて乗り越えた結果、やっとここまでこれたんだなと今は思っています」――アンナさんは、華やかかつ怒涛の人生を歩みながらも、折れずにまっすぐだったイメージがあります。その強さの裏には、お父さんの愛情やお坊さんの教えがあったんですね。 「父も、82年をかけて人に親切にしてきたし、娘の私から見てもたくさんの徳を積んできた人。そんな父の背中を見て育ち、お坊さんの話を聞いてきたのは大きいですね。だから私も、SNSで何かを紹介するときも、今回のような物作りでも、『誰か1人でも喜んでくれるなら』という気持ちでやっています。インスタでお化粧やメンテナンスの仕方を公開するのも、私と同じ悩みを持つ人の救いになれば嬉しいし、お洋服も一生大事にできる服に出会ってもらえたら嬉しいなという気持ちなんですよね」――ご自身では自分をどんな人だと思いますか? 「私はすごく感覚で生きる人みたいで、自分が行くべき場所や行かないほうがいい場所を感じるんです。それで事務所を移ったこともあるので、わがままだと言われてもきました。そういう世間の評価によって仕事を失ったこともたくさんあるから、『勝手に言ってれば』では済まないし、すごくつらかったですね。でも、何を選んだとしても、最終的には自分で責任を取るしかない。だからこそ自分の感覚を信じたいし、自分で決めたことは覚悟を持ってやり通そうと思う。コロナによってお仕事が減ってしまった人も多いと思いますが、私としては誰かに責任を取ってもらうのではなく、自分で選んだ仕事なんだから自分で責任をとろうと思っています」――『anmo closet』も含め、これからの人生をどう描いていきたいですか? 「先々に大きな目標を持つというよりも、目の前にあるものをひとつひとつ消化して、変わらずに生きていける道を選びたいですね。『anmo closet』としては、芸能界で30年近く生きてきた梅宮アンナという名前を崩さないよう、人に喜んでもらえるものを作っていきたい。シンプルで肌触りがよくて、安すぎるでも高すぎるでもなく、手の届く範囲で最高級の手触りと風合いのものを作っていきたい。大切にしたくなるものを作って、長く使ってもらえたら嬉しいですね」(文:川上きくえ)
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