
高橋幸宏さん『ANN』で追悼特番 貴重音源連発&上柳昌彦アナ「楽しく幸宏さんを偲んでいきたい」
脳腫瘍により併発した誤嚥(ごえん)性肺炎のため1月11日に逝去した、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーでミュージシャンの高橋幸宏さんを偲び、ニッポン放送で特別番組『オールナイトニッポンPremium~高橋幸宏さんを偲んで』が、15日の午後8時から放送された。<手術時>高橋幸宏さんからのメッセージ 高橋さんは今から40年前、1983年4月から9ヶ月間、火曜日の深夜1時から『高橋ユキヒロのオールナイトニッポン』を担当。当時の放送音源はニッポン放送に保存されていなかったが、SNSで呼びかけたところ、多くのリスナーから全35回中32回分の貴重な音源が提供された。 特別番組は1983年4月12日の第1回のオープニングから。初回オンエアのオープニング音源というだけでも貴重なのだが、その内容はというと、番組を担当した上柳昌彦アナウンサーが思わず「シュールなことやってらっしゃいましたね」と語った高橋のショートコント。今回の追悼番組について上柳アナが「きょうは湿っぽくでなく、楽しく幸宏さんを偲んでいきたいと思います」と話したように、特別番組は早速、貴重な音源で当時の雰囲気を伝えてスタートした。 番組では高橋さんと交流のあった人々からの貴重なコメントも放送したが、当時、ニッポン放送の担当ディレクターだった佐々智樹氏は、番組に起用した理由について、「YMOって日本のポップグループで世界に羽ばたいた最初のグループ。深夜放送には深夜の若者の独特の文化があった。(高橋さんを起用したのは)ちょっと先に行っているというところと、すごく音楽を大切にしているところ。深夜放送で音楽のネタを仕入れるというのは世代的には当たりまえというか必須。当時のラインアップからすると異色かもしれないが、世界に飛び出したミュージシャンをパーソナリティにして、新しい音楽を発信していくのが必要だと思った」と当時を振り返る。 ディレクターとパーソナリティという立場で接した高橋さんの人柄については、「とにかく非常にまじめな人でした。ピュアだし、ストイックで物事に対して真摯に向き合う、感性が鋭い人でした。かっこ悪いことが好きじゃない。細かいところまでこだわっていた。音楽家であり、ファッションデザイナーでもあるので、ものにこだわるところがよく出ていた」と語った。 番組では、釣り好きの高橋さんのために佐々氏の発案で企画され、伝説の回と言われた1983年7月19日放送の「深夜のアナゴ釣り大会」もオンエア。火曜日の深夜に「チャポチャポ」と釣り船の音ともにアナゴ釣りの模様をオンエアしたこの回は、ニッポン放送社内でも物議を醸したが、アナゴ釣りの船にはテレビの有名プロデューサーやディレクターも同乗していたという。 『高橋ユキヒロのオールナイトニッポン』が当時のテレビマンにとっても最先端の「尖った番組」だったというエピソードも明らかにされた。番組には、高橋さんのソロや再結集したYMOのサポートなどを担当、また、pupaというバンドを結成して一緒に活動をしていた高田漣(※高=はしごだか)をゲストに迎えて、高橋さんとの印象的なエピソードや一緒に活動して感じた高橋さんの音楽哲学について迫ったほか、当時、番組内でイギリスの音楽最新情報を紹介していたトシ矢嶋氏、途中からレギュラー出演していた劇団スーパー・エキセントリック・シアターを主宰する三宅裕司などのインタビューなどもオンエアされた。 番組は最後、1983年12月27日に最後の日本武道館公演の音源とともに4時間スペシャルとして放送した最終回で、YMOメンバー細野晴臣とYMOを振り返った貴重な音源もオンエアし、幕を閉じた。番組の模様は、放送後1週間以内は「radiko」で聞くことができる。
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