漫画家・鳥山明さん死去 『NARUTO』岸本斉史氏が長文で追悼「漫画の神様でした」「悲しいです先生」【コメント全文】

漫画家・鳥山明さん死去 『NARUTO』岸本斉史氏が長文で追悼「漫画の神様でした」「悲しいです先生」【コメント全文】

 漫画『ドラゴンボール』作者で知られる漫画家・鳥山明さんが、死去した。68歳。バード・スタジオとカプセルコーポレーション・トーキョーが8日に発表した。訃報を受け、『NARUTO -ナルト-』などの作品で知られる岸本斉史氏が『週刊少年ジャンプ』の公式サイトに長文の追悼コメントを掲載した。



【画像】『ドラゴンボール』1巻表紙



 岸本氏は「突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います」と前置きし、「小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした」としみじみ回顧。「嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!」と興奮気味に語った。



 大学生の時に「突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました」とし、「でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。僕も先生のような作品を作りたい!先生のようになりたい!と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。漫画作りが楽しかったからです」と思いを明かした。



 「先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。先生はいつも僕の指針でした。憧れでした。先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした」と記した。



 また、鳥山さんと初めて会った時は「緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました」とエピソードを紹介。「ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません」と語った。



 「今、先生のご訃報を受けたばかりです。ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ…まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。今は大好きなドラゴンボールも読めません。先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません」と喪失感をあらわに。「世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。もし本当にドラゴンボールの願いが1つかなうなら…すみません…それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生」と本音を漏らした。



 最後に「鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます」などと悼んだ。



■岸本斉史氏コメント全文

突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。

ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。



小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。

嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。

本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!

大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。

とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。

でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。

僕も先生のような作品を作りたい!

先生のようになりたい!

と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。

漫画作りが楽しかったからです。

先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。

先生はいつも僕の指針でした。

憧れでした。

先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。

僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。



初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。

ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。

ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。



今、先生のご訃報を受けたばかりです。

ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ...

まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。

今は大好きなドラゴンボールも読めません。

先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。

世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。

もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら...すみません...

それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。



鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。

そして本当にお疲れ様でした。



残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。

ご自愛くださいませ。

鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。
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