中村メイコさんを乾杯で送る会開かれる 最期は夫・神津善行さんの腕の中で「僕の小指に人差し指をぶら下げてきて…」
昨年12月31日に肺塞栓症(はいそくせんしよう)で亡くなった俳優の中村メイコさん(本名:神津五月、享年89)を『乾杯で送る会』が18日、都内で開かれた。【写真】カーテンコールのように…母を明るく送りたいと語った神津はづきさんたち 中村さんは、作家の村常氏の長女として生まれる。2歳の時に映画『江戸っ子健ちゃん』でデビュー。角帽の子供“フクちゃん”を演じて人気に。元祖天才子役だった。その後、数多くの作品に出演。NHK紅白歌合戦の紅組司会を 1959年から1961年に務めた。1957年に作曲家の神津善行さん(92)と結婚。長女は作家の神津カンナさん(65)、次女は俳優の神津はづきさん(61)、長男は画家の神津善之介さん(51)。 会場中央には、中村さん自身が選び、死去後に使ってほしいと思っていた写真の中から選ばれた1枚が飾られた。前には大好きだった赤いガーベラと、スコッチウイスキーの水割りが置かれていた。 開かれる前に、善行さん、カンナさん、はづきさん、善之介さんが取材に応じた。善之介さんは「女優・中村メイコ、私たちの母のカーテンコールのような会だと思っております。ですので、乾杯をしていただくような感じで、明るく優しい目で送り出していただけたらと思っております」と『乾杯で送る会』になった理由を伝えた。はずきさんも「母は明るく楽しいことが好きだったので。最後も空に龍が昇るように、すっと逝ってあっぱれだったので、やっぱりこれは乾杯かな、という感じで。乾杯で送りたいねということを話して決まりました」と振り返った。 カンナさんも「(お酒は)すごく好きでした。亡くなる日もなくなる日も飲んでた」と明かしていた。「シラフの母は見た記憶がない」と子どもたちは笑いながら、はづきさんは「三途の川までシラフでは無理だと思って、みんなで花びらにウイスキーを漬けて棺に入れた」と秘話を語った。 カンナさんは「母親としてはすごく変わった人でした。もう筆舌に尽くしがたいぐらい本当に変わってました。でも、亡くなってみると、やっぱり立派な人だったんだっていう風にちょっと思えてきたというのが実感です」とする。2歳から俳優として活躍した。カンナさんは「2歳から仕事をしてるので、あまり自分が女優になったっていう自覚がない。逆に母親をやる時の方が演じてしまうというか。お誕生日会を友だち呼んでやるっていうと、急に紬の着物を着て『さぁさぁお上がりなさい』って出てきたりして。『誰?わざとらしいんだけど』と言うと『そう、じゃあ着替えてくるわ』っていうような。本当にてんぷく小劇場みたいな母だった。だからずっと24時間のまんま」と笑いながら在りし日を振り返った。 善行さんは「すごく甘えん坊なんですよ…。一般人には絶対出さないんだけど。全部、僕に頼んでくるような。今いなくなった仕事はなくなって、すごく悲しいです」と涙ながらに語る。中村さんの最後の思い出を問われると「驚いたのは最後の日なんです。『きょう、ちょっと変だから寝かせてくれ』と車いすがないと動けないので一緒にいた。それがちょうど31日の晩で『紅白』を見ていて。『紅白』が面白いの、面白くないの、って散々言ってましたけど。NHKに悪いから、あまり言いませんけど」と冗談を交えながら亡くなる直前の様子を明かす。 「それで『寝る』って言って寝たんですね。で、寝たんですが、すぐに呼ばれて。『ちょっとやっぱり変だから起こして』と。僕は手に首を持って、ベッドの上で起こしたんです。『どう?大丈夫?』って聞いたら『うん。大丈夫だけど、ちょっとしばらくそうしてて』と言うんで、そうやってたんです。そしたら、僕の小指に人差し指をぶら下げてきて…。ちょっと力があって元気があるなと思ったんですが、それで抱いてたら1分10秒か20秒で、なんか力が少し抜けてきたなと思ったら、ぽろっと手が落ちたんです。それで、その時にやっぱり息を引き取ったらしいんです。もちろん、それからすぐに救急車を呼んでもらって、人工呼吸なんかを1時間ぐらいやったりなんかしましたけど、結局戻るってことはなかったんです」と回顧。 「後で考えてみると『そのまんまにしてて』と首を抱いた時に、彼女が指をひっかけたのは、手を握ったんだと思うんです。ずっとやっていて外れてしまって…。そこで息を引き取るんですが、全く苦しまないで。病院にいても、どこにいても、抱かれて死んだっていうことはまず通常あり得ないと思うんです。お医者さんは必ず治療をするし、なんとか生き返らせようとするんで。で、それを彼女は計算をして…。それを考えると、人生の1番最後に幕を引く引き方が非常にきれいだったなと思う。それを思い出すと、どうしても未だにまだ涙は止まらない」と思いを語った。 中村さんへ最後の言葉を伝えるなら、という問いかけられると善行さんは「女房に話しかけてほしいんです。拝む必要ないんです。拝んでもらってもしょうがないんで。それより『頑張って冥土歩いてきなさい』ってことをみんなに励ましてもらえればいいと思うんで。こういう会を開いた」とする。その上で「夫婦だけで暮らしてましたから、どっちが先に死ぬかっていうことをよく話で出たんです。で、その時に『私はあなたの葬式なんかできないから、絶対に黙って先に行かないでね』ってことを言われて。『俺もあんたを1人で遠いところ、道もわからないところを行かせるわけにいかないから1人であんたが死んだら俺もついてってやるよ』って言ったら、うれしいそうに泣いてました。それが約束みたいに思えて…。守ってやれなくて、悪いな、かわいそうだなと思います。今、彼女を連れて向こうの国へ一緒に行ってやりたいっていうのが1番の僕の気持ちです」と涙まじりに亡き妻への思いを話していた。 『乾杯で送る会』であいさつした善行さんは「息を引き取りましたのが12月31日の大みそか。僕の誕生日が1月2日なんです。いつもバースデーケーキと贈り物を必ずくれる人だったんです。今回は車いすで出歩けなくて何も買ってなかったんですが、バースデーカードが届きました」と生前に綴られたバースデーカードがあったことが明かされた。「全部、『ごめんなさい』だった。死ぬってことを思ってなくて、何もできずに面倒ばっかりかけて申し訳ないってことを書いていた。1番最後に『神津さん、お父さん 愛してます』と。これが1番最後の手紙でした」と涙ながらに語っていた。 出席者は約400人だった。■主な出席者阿川佐和子浅丘ルリ子東貴博生島ヒロシ石川さゆり伊東孝明うつみ宮土理海老名香葉子大出俊大村崑小澤征悦片岡鶴太郎茅島成美黒田アーサー小堺一機堺正章佐藤B作柴田理恵ジュディ・オング笑福亭鶴瓶関口宏高見恭子テリー伊藤十朱幸代古舘伊知郎増田明美萬田久子水谷八重子三田佳子宮崎美子南こうせつ森公美子山田邦子
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